昨年末ある友人から「失われた10年に根拠なし」と主張するフィングルトン氏のブログが送られて来たが、この日本在住の経済記者のブログを一読して、今年の日本が明るくなった様な気分になった。
一昔前「政治家や評論家に必要な資質は何か?」と聞かれたチャーチル元英国首相は:
「予測する能力だ。明日どうなるか。1ヵ月後にどうなっているか。1年後に何が起きるか。それらを予測する能力、と同時に、予測がはずれた場合に、それを上手く言い訳できる能力が必要だ」と喝破したが、予測力でも解説能力でも誰一人としてこの資質を持った人間がいない現状なら、フィングルトン説に耳を傾けるのも一興であろう。
彼は、自説の正しさを証明する一例として、経済成長を測る指標として信頼性が高い電力生産量のデータを取り上げ「1990年代の日本の電力生産量は人口一人当たりに換算するとアメリカの2.7倍のスピードで伸びている事からも、日本の経済的な停滞はありえない」と断言し、更に:
「1870年代以降の日本は、1930年代から1940年代に掛けての短い期間を除き、常に輸出の増進を経済政策の中心に掲げてきた。この積極的な輸出増進政策は、1980年代に入り、日本の一人勝ちへの欧米の強硬な抵抗にあって頓挫しかけたが、国の経済実態の公表に大きな影響力を持つ日本政府は、西欧からの抵抗を抑える目的で、経済予測の条件を異常に保守的な前提に設定して、表向きの数字を実態より遥かに悪く見せ、批判を凌ぐ政策を取った結果、欧米の日本経済への強い批判は収まり、同情へと変った。
一方、日本経済の実態は、永年に亘る貿易黒字、強い円、他人の追随を許さない生産財生産力、超小型部品をはじめとするハイテク分野、超先進的な素材、超精密機械などの核技術、戦略製品で、中国の様な最終消費財の生産国は勿論、先進各国をも凌駕する強固な地歩を築いた健全性は変らない」
と主張している。
実態より楽観的な数字を出すのが当たり前の世界で、日本政府が事実を曲げてでも悲観的な数字を発表し続け、表面的に日本の経済の凋落ぶりを示す事で、欧米の批判をかわす事に成功したと主張するフィングルトン説は、主流派からは黙殺されてきたらしいが、経済学や経済統計に不案内の私にはその妥当性の判断はできない。
ブログで見る限り、数字やチャートに乏しく、彼の政治的な主張にも思えるが、もう少し詳しく知りたい向きは、彼のブログ(lying about its economic growth?)をご参照頂きたい。
然し、日本政府がリークもなく20年以上にも亘り偽統計を操り、世界をミスリード出来るほど一枚岩だとは信じ難い気もするし、政府発表数字とシングルトン説では累積ベースのGDPが20~30%も違うと言う巨大な差に、誰一人として気がつかなかかった事も奇跡に近いと言う疑問が残る。
真偽は兎も角、経済・金融政策を巡って甲論乙駁、百家争鳴の混乱状態が続く現状は、正解がないに等しく、下手な正解より国民に高揚感を与える景気の良い予測の方が、結果として景気回復に役立つかもしれない。
山本五十六は「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」と言う名言を残した。一度、期限付きでも良いから、フィングルトン説を繰り返し国民に流布して見たらどうだろうか? と思いながら、目を覚まして仰ぎ見た「初日の出」であった。
北村 隆司