橋下徹大阪市長への提言――府教育基本条例案は早急に撤回し教育委員会制度の改革を目指すべき(1)

渡邉 斉己

大阪府教育基本条例案を読んでみました。率直に言って、この条例制定の動機は政治的過ぎるし、また適法性にも欠ける(『大阪維新の会「教育基本条例」何が問題か』市川昭午著参照)ので、これは早急に撤回した方がいいと思いました。これにこだわっていると、民主党が「ばらまきマニフェスト」にこだわったために、政治改革の本筋を見失ったように、折角の「維新」が元の木阿弥になるおそれがあります。それよりも、諸悪の根源は教育委員会制度にあるのですから、これを、地方自治体が責任を持って学校経営できるものに変えるよう全力を尽くすべきです。そうしない限り、地方教育行政組織の機能不全は今後も続きます。


実は、日本における教育委員会制度の機能不全という問題は今に始まったことではなく、それが立法趣旨通りに機能したことは、昭和23年に教育委員会法が制定されて以来一度もないのです。言うまでもなくこの制度は、アメリカが占領政策の一環として日本に持ち込んだもので、戦前の教育行政を内務行政から切り離し、アメリカ生まれの教育委員会制度を日本に移植しようとしたものでした。しかし、アメリカと日本の歴史は全く違いますから、教育委員会を日本全国の市町村(当時二万以上あった)に設置することには無理があり、そのため、その義務設置を昭和27年まで延期したのです。

しかし、昭和27年になっても、その設置単位や権限をどうすべきか等の話がまとまらなかったので、さらにその義務設置を1年延期することになり、そのための法案が政府文部省より国会に提出されました。ところが、この法案は衆院文教委員会において、突如、与党自由党によって否決され、同年八月、国会において審議未了となり、その結果、教育委員会は全国の市町村に義務設置されることになったのです。

もともとこの法案は、文部省が大蔵自治庁とも協議し、社会党や日教組もこれに同調していたものでしたので、この法案の不成立は「文部省にとってはまさに晴天の霹靂と称すべきもの」であり、同省は「この意想外の事実に遭遇して、『周章狼狽、なすところを知らない』有様であった」といいます。

では、なぜ与党自由党は、こうした大方の意志に反してこれを強行したのでしょうか。それは、当時、「日教組は官僚制を廃し教育の自由と教師の自由を保障することを掲げて、(都道府県)教育委員選挙に積極的に取り組み、組織力を使って組合員や推薦者を多数当選させたため、保守勢力は市町村にまで教育委員会を設置して委員に地域の有力者を送りこみ、日教組の監視を図った」ためであるとされます。

当時、文部省にあって、その衝に当たっていた相良惟一文部省総務課長は、次のように述懐しています。「いわずとしれた、それは日教組対策に外ならなかった。日教組の進出に、強い反感と恐怖を持っていた自由党が、日教組勢力の分断を策するために、地教委をいっせいに設け、任命権をそこに移し、日教組の監視役たらしめようという意図をもったのである。」(山本敏夫、伊藤和衛共編・『新しい教育委員会制度』所収「教育委員会制のためになげく」)

こうして全国の市町村に教育委員会が義務設置されることになったのです。つまり、日本の教育委員会制度は、もともとはアメリカが占領政策の一環として持ち込んだものですが、その占領が終わった後に、全国の市町村にそれを義務設置したのは、時の政権党自由党だったのです。その目的は、市町村に教育委員会を設置し、そこに教職員の任命権を移すことで、地域の有力者の力で日教組の勢力伸長を掣肘することにありました。

しかし、こうして発足した教育委員会制度は「必要な諸要件の未整備という客観的に不利な条件のほかに、創置後年月の浅いこの制度の運営に、委員たちが十分習熟しないというやむを得ない事情もあって」、市町村教育委員会は、教員人事や財政活動など実際の運営面において、種々の混乱を引き起こすことになりました。このため、特に、行財政面で教育委員会と密接な関連を有する地方自治体側から地教委(=市町村教育委員会)廃止の激しい運動が湧き起こりました。

しかし、政府はこれらの廃止論に対して、当初は日教組対策の思惑もあってその「育成策」を主張して譲りませんでした。ところが、地方財政の窮迫や教員人事の停滞等により批判的世論が高まったため、この根本的改正を企図するようになりました。その手はじめが「地財再建法」(s30.2.29公布)及び「地方自治法一部改正法」(s31.6.12公布)で、これにより、教育委員会の財政権が大きく制限されることになりました。もちろんこれは、地方自治体側の要求に沿ったものでした。

そして、その総仕上げとして提出されたものが、現行の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律案」(s31.6.30)でした。その改正要点は第一に、教育委員の公選制を長の任命制とすること。第二に、教育委員会の予算送付権を廃し、支出命令権を長に移すこと。第三に、教職員の人事権を都道府県教委に移すこと。また、文部省から地教委までの一貫した中央教育行政の管理体制を確立すること等でした。これによって、地方自治体の不満を一部解消すると共に、日教組監視役としての教育委員会の機能維持を図ろうとしたのです。

これが、わが国の教育委員会制度が歴史的に抱える基本的な問題構造です。橋下氏は大阪府知事就任以来、この教育委員会の学校経営機関としての機能不全を激しく攻撃する言動を繰り返しています。そして、この機能を回復するための方策として、大阪府教育基本条例案を提案しているわけです。しかし、この条例案は現行地方教育行政制度の下においては「自爆装置」となる可能性があります。そうなってしまっては、教育委員会制度の抜本改革という本丸に切り込むことは到底できません。

橋下氏は、この教育委員会制度の学校経営機関としての機能不全という問題に直面し、それを解決しようとしているのですから、本筋の地方分権型統治機構改革と軌を一にして、実現可能な教育委員会制度改革案を策定して欲しいと思います。そのための材料はいくらでもある。例えば、民主党の2009年の政策集には、「②現行の教育委員会制度は抜本的に見直し、自治体の長が責任をもって教育行政を行います。③学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する学校理事会制度により、主体的・自律的な運営を行います。」とあります。

また、「中央教育委員会の設置」と題して、
「教育行政における国(中央教育委員会)の役割は、①学習指導要領など全国基準を設定し、教育の機会均等に責任を持つ。②教育に対する財政支出の基準を定め、国の予算の確保に責任を持つ。③教職員の確保や法整備など、教育行政の枠組みを決定する――などに限定し、その他の権限は、最終的に地方公共団体が行使できるものとします。」

また、「保護者や地域住民等による『学校理事会』の設置」と題して、
「地方公共団体が設置する学校においては、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する「学校理事会」が主な権限を持って運営します。学校現場に近い地域住民と保護者などが協力して学校運営を進めることによって、学校との信頼関係・絆を深め、いじめや不登校問題などにも迅速に対応できるようにしていきます。こうした学校との有機的連携・協力が生まれることは、地域コミュニティの再生・強化にもつながります。」と提言しています。(つづく)