大変残念な話であるが、今年も方々で問題が発生した様である。問題といっても、大体は酒に余り慣れていない新成人が、飲酒して少し騒いだ程度の話である。
寧ろこんな話を何時までも解決出来ず、放置している大人の世界に問題ありと思うのである。
そもそも、成人式とは何であろうか?下記の説明である。
国は、1948年に公布・施行された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌年から1月15日を成人の日として制定した。それ以降、ほとんどの地方で成人式はこの日に行われるようになった。その後、1998年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法)に伴って、2000年より成人の日は1月第2月曜日へ移動している。
簡単に言えば、大人の世界を代表して、地方行政の首長が新成人を対象にお祝い会を開催し、お土産を持たせて帰らす事ではないだろうか。
この建前通り、成人式が企画され、実行されているにも拘わらず、新成人が善意を仇で返すような愚行を行ったとすれば、勿論弁護の余地はない。本当にそうだろうか?というのが今回第一のポイントである。
新成人といえば、選挙権を得たばかりの投票ど素人である。従って、実際問題として、成人式という大義名分で招待し、お土産を持たせて帰らせ、来年の町長選挙或いは、市長選挙の際は宜しくねというのが、これだけ問題が連続しても、成人式をやり続ける背景ではないのか?
勿論、費用は住民の納税した住民税で賄われるので、首長に取っては濡れ手に粟の美味しい行事の筈である。
若者というのは、こういう事に敏感である。若者達の為という大義名分の下、実際は大人が大人自身の都合で自分達の利益の為に、動いていると感じれば、それは先ず白けるであろうし、次いで騒ぐのも当然である。結果、大人のいう事は聞かず、暴れ回る。
今一つ思い当るのは時代の違いである。私は、思う所あって出席しなかったが、1975年が私の成人式の開催された年である。敗戦から30年、当時の大人たちは灰燼に帰した日本という国を、見事な迄に復興さす事に成功した。
大人の世界を代表して、首長が一段高い所から新成人に訓示を垂れた所で、特に反発もなく、受け入れられる下地があったと思う。
翻って、現在はまるで当時とは状況が異なる。代表的なのが雪達磨の如く膨張を続ける「国債残高」である。首長は大人の世界を代表して、先ず債務を背負わす事になるであろう、新成人に対し「お詫び」をいうべきではないのか?
それに対し、新成人は、「バカタレ!、ゴメンで済んだら警察要らんは!どうやって、問題を解決するのか真面目に考えろ!知恵が湧かないというなら、権力のバトンを若者に委譲しろ!」位は反論しても良いのではないのか?
昨日も記事に書いた通り、オールドメデイアは「新成人の暴走」とか騒ぐかも知れないが、これは新成人が重篤な問題に直面しているにも拘わらず、当事者意識、当事者能力が無く、既得権益の甘味から、権力を手放さない大人達を詰めているだけの話である。
繰り返しとなるが、大人が大人の思惑で成人式を企画しても、大多数の新成人は白けるし、一部の行儀が悪い、或いは直情的なものが騒ぎ出すというのは自然な話だと思う。
一方、大人しく式に参列し、従順な新成人もいるだろう。何と、新成人のなりたい職業1位「公務員」 だそうである。こういう連中は20才にして、首長に千切れんばかりに尻尾を振る事を苦にしない。
丁度一年前の、日本の地方都市で解説した、只管「税金」を食い尽くす事を人生の夢とした人々である。
こう言う街並みは誰が作り、誰が住み、利用しているのだろうか?地方都市の勝ち組、指導者層は、医師、歯科医師、地方大学の大学教授を別格とすれば、地元の名門高校から地元の国立大学を卒業し、県庁、市役所、教師そして農協に無事就職出来た人間であろう。国立大学に進学出来ず何処かの私大に入ったとしても「コネ」とか巧く活用出来て上記に潜りこむ事出来た人間は矢張り同様勝ち組だと思う。県や市の外郭団体に潜りこんだ者は差し詰め準勝ち組と言った所か。彼らは就職と同時に定年までの職が終身雇用、年功序列の慣行に拠り保障され、更に在職中巧く立ち回れば定年後の天下りの職にありつけるかも知れない。例えありつけ無くても民間に比べれば驚く程恵まれた年金の受給は保障されている元々、若くしてそういう人生のコースを選択した人達だから只管「税金」を食い尽くす事に何ら疑問を感じる事も無いのであろう。彼らに取っては現行制度の維持こそが全てなのだ。例え、国家財政が破綻しようともである。こう言った勝ち組支配の地方都市が如何なるメッセージも発信する事出来ず結果旅行者が魅力を感じ無いのは当然である。顔が無いのである。便宜的に東京の平均的な街並みのカーボンコピーを作りその仮面を被っている訳である。
今の日本の状況から考えて、若者が不満や不安を持つのは至って当然である。これを押さえつけるのではなく、汲み取り、対話し、それにより、実りある成人式にすべきである。仮に出来ないという事であれば、何も継続の必要はなく、中止すべきであろう。
山口巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役