それでも、Facebookは「おもしろい」と思う方へ

青木 勇気

3月末日をもって「Facebookページがタイムライン形式に切り替わる」ことが発表されたのを受け、ソーシャルビジネス界隈は大いにざわついていたが、これには「だからFacebookは商用に向いていないとあれほど」と言いたい。

先日のエントリーでは、Facebookの「つまらなさ」について皮肉な書き方をして一部の方に顰蹙を買ったが、今回はさらに顰蹙を買うようなことを書きたいと思う。

まず、タイムライン形式に切り替わると何が起こるのかをまとめた記事「Facebookの突然の一撃で、ソーシャルメディアプランナーは全滅か!!」の中にもあるように、主な論点はWelcomeページが無くなったことで「いいね!」が獲得できなくなり、商用利用が難しくなることだ。記事の中で、永江一石氏はこう言っている。

はっきりいって、なんかプレゼントしたり、配布したり、ケンテイしたり、占いしたりでファンを集めまくる方法は、これで終了となりました。これで食っていた皆様、お疲れ様でした。

これを見て青ざめる業者を想定してのシニカルな表現だと思われるが、いずれにせよ、安易なサービス提供、コンサルテーションではビジネスとして成立しないことは間違いないだろう。いや、もっと言えば、そもそも成立していたこと自体がおかしい。

なぜなら、Facebookページの柔軟さを利用して手を替え品を替え商品に仕立てたからだ。言うまでもなく、Facebookサイドが用意した商品ではないし、仕様が変わった時点で成り立たなくなるものという時点で、マーケットがあったかどうかすら怪しいのではないだろうか。

もちろん、Facebookページの成功例も数多く存在しているが、大抵はその成功例をマニュアルに落とし込み、ビジネスとして展開したものを二次的かつ簡易的に取り入れたページである。成功例をお金に変えようとする者と自ら成功例になることを欲する者との間にマッチングは成立しているが、目的や順序がズレてしまっている。

なぜ成功したかを吟味することなしに方法論だけ持ち込むのはナンセンスであるし、潜在的なファンがいないのに「いいね!」の数だけ集めてもエンゲージメントは決して高まらない。ただ、それでも「黎明期」にはリテラシーの有無だけで商談が成立し、お金を出す人がいたのも事実である。

先日のエントリーへのリアクションには、「Facebookがつまらないんじゃなくて、使い方の問題でしょ」という指摘が多かった。その通りだし、むしろそれを伝えようとして書いたつもりである。ポテンシャルの高い優れたツールだからこそ、使い方次第でおもしろくもつまらなくもなる。単純な話だ。その意味で言えば、Facebookを最もつまらなくしていたものが「商用利用」だろう。皮肉でも何でもなく、そう思う。

今回の発表を受けて、「タイムライン形式に切り替わるなんて改悪だ」「もうFacebookはお金にならない」と嘆く人は、そもそも自分自身としてはFacebookを使っていない。無料で使える優れたツールで商用利用ができれば、何でもいいからだ。Facebookの機能に詳しく使いこなすことができても、その目的がビジネスであれば、今回のような改変によってその価値が下がる。

そういう捉え方の人は、今まさに青ざめているのではないだろうか。使い方次第で楽しめるツールをつまらなくするのは、他の誰でもなく自分。業者であれ個人であれ、メリットを感じない人、お金にならないと考える人は、元々Facebookなど好きではないのだから、やめればいいだけの話だ。

逆に、それでもやっぱりFacebookは「おもしろい」と思う人は、Facebookページのあるべき姿やブランディングについて再考し、いかにしてファンを育てていくかに取り組むだろう。場合によっては、改悪どころか改良と捉えて新しい価値やツールを見出すことに成功するかもしれない。

最後に、今一度永江氏の言葉を引用しよう。

ザッカーバーグは、Facebookページを本来の姿に強引に戻した気がします。Facebookページは、企業との相互コミュニケーションの場になったのです。

確かにその通りだとは思うが、「元々そうだったものの上に強引にビジネスを持ち込んだ」という前提を忘れてはいけないだろう。Facebookは、徹頭徹尾コミュニケーションの場なのだから。

青木 勇気
@totti81