あてにならない食料安全保障 --- 駒沢 丈治

アゴラ編集部

食料自給率と食料安全保障を結びつけて語る人は多い。「万一食料の輸入が途絶えたらどうする。そのためには日本の食料自給率を上げるしかない」といった具合だ。農水省自身も、こうしたドキュメントを公開している。

食料自給率目標の考え方 及び食料安全保障について(PDF)

“食料自給率が先進国中最低水準にある我が国としては、食料安全保障の観点から、より高い食料自給率を目指していく”。

食料自給率が高ければなんらかの「有事」で食料の輸入が途絶えても、最低限食べていける……ということらしい。しかし、本当にそうか?


仮に食糧危機が訪れたとする。そのとき農家は、都市部の者たちに作物を気前よくわけてくれるだろうか。それとも隠匿したり売り惜しみしたり、法外な値段で売りつけようとするだろうか。

私の祖母の話では、戦後の食糧危機の際、農家は僅かなコメやイモの代わりに着物や貴金属を要求したそうだ。そのためになけなしの財産をすべて処分し、ひどい目にあったらしい。私は同じことが再び繰り返されると思う。農家は快い供出に応じないだろう。

もし農家が作物を供出したとしても、流通段階で必ず歪む。1年前の震災を思い出してほしい。あのとき、食料品や生活必需品の売り惜しみが行われたではないか。同時に、市民による大量の買い占めが行われたではないか。

食料安全保障を唱える人たちは、「有事の際は皆が食料を分け合う」と信じているのだろう。食料自給率100%を達成し、それが正しく配分されれば、たしかに数字の上では全員が食べていけるかもしれない。

しかしそれは共産主義的な幻想だ。実際は「ほとんど口にできない多数」と「たっぷり食べる少数」に分かれるだけのこと。農地がない者、権力がない者、コネがない者は飢え、お金がある者も僅かなイモやコメと引き換えにほどなく財産を失う。それを横目に、一部の者は飽食を続け、ダイエットに励む。食料分配のルールは残酷なのだ。

だから、都市部の人たちにぜひ再考を願いたい。「食料自給率が高ければ、有事の際も食べていける」というのは誤った期待だ。あなたが払った税金で農家が保護され食料自給率が上がったとしても、有事の際、都市部に住むあなたは飢える。

それよりも、国際市場で買い負けない強い経済力と多様な供給ルートを確保するほうが賢明なのではないか。

駒沢 丈治
雑誌記者(フリーランス)
Twitter@george_komazawa