高橋がなりに学ぶ「スター選手」をつくる意味

青木 勇気

先日、攻める”オトナの教養マガジン『FJ(フィナンシャル ジャパン)』の取材に同行し、国立ファーム代表・高橋がなり氏に会った。高橋がなりといえば、言わずと知れたAVメーカー最大手のソフト・オン・デマンドの創始者であり、「¥マネーの虎」で人気を博した敏腕経営者である。

そんな人物が、なぜ農業という畑違いの業界に進出したのか、国立ファームは何を目指しているのかなど、TPP(環大平洋経済連携協定)の絡みもあり非常に興味深い話を聞くことができた。

高橋氏は、国立ファームのコンセプトについて以下のように語っている。


 

当社のテーマは農業のスターをつくること。「◯◯さんがつくったこの野菜が食べたい」と生産者の名前で販売できるようにしたい。書道でも絵画でも手づくりするものには巨匠がいるのに、農家の中にはいない。経営もビジョンも語れて、小奇麗な身なりをして儲けている農家のスター選手をつくれば、「俺もああなりたい」と目指す農家が増えるはずです。そんな成功例を増やせば農業は変わります。

※『FJ(フィナンシャル ジャパン)』(4月号)から引用

確かに、農業には儲けているイメージがないし、憧れが先走る花形の職業というよりは、肉体的労働を伴う地味で大変な仕事という印象がある。労働に追われ収入にならないと去ってしまうので、むしろ10人のうち1人しか入れない人気産業にしなければならないと主張する高橋氏に対し、農業とはそういうものじゃないと反発する人もいるだろうし、現実を分かっていないと非難するかもしれない。

仮に高橋氏が外側から言っているだけだったら、その通りだろう。ただ、彼は国立ファームを始めて6年で15億円の赤字を出してまで、チャレンジしている。金持ちの道楽などと言う生半可なものではない。

では、なぜそこまでしてやるのか。それは、「あり方を変えたい」からである。15億円くらいで簡単に農業が変わるなどと思っていないと言いながらも、「スター選手をつくる」ことでそれを証明したいからだ。それがどんなものであっても、長い時間かけて出来上がったものを壊したり、変えたりするのは簡単ではない。壊しさえすればいいという話でもない。うまくいっている間は、そんなことを考える必要すらないだろう。ただ、今の日本は考える必要もないほど安泰だとは到底思えない。だからこそやるのだし、価値があるのだ。

もちろん、高橋がなり氏がやっていることを皆が真似すべきだと言いたいわけではない。冷めた見方をすれば、口だけで結果が出ていないと切り捨てることもできる。これはむしろメンタリティーの問題として扱うべきだろう。

高橋氏がTPP参加に積極的であることの根底には、勝つか負けるかわからないからリスキーという考えに対する、「でも、このままだとジリ貧だよね?」「ウリがあるなら勝負できるでしょ?」という問いかけがある。そして、彼自身が「変えるためにリスクを冒すのは当然」と言わんばかりに実践しているのだ。

スター選手をつくるということが意味するのは、成功者となるべく自らをモチベートし、日常をドライブさせて「既存のものを変える」ことの意義であり、サクセスストーリーによって見る者を啓蒙し、「志そのものを育てる」ことの価値である。

高橋氏の場合それが農業であり、農家のスター(運営しているレストラン「農家の台所」の店内で農家の方々の顔写真と名前が載ったポスターを貼るなど広報活動をしている)であるが、対象は何であっても良いのだ。大切なのは、成功体験であり、その中身ではない。

「スターになろう」などと呼びかけるのは時代錯誤だと揶揄したり、今の若者は「あんな人になりたい」「金持ちになりたい」といった単純な憧れは持ち合わせていないと一笑に付す人もいるかもしれない。

ただ、その通りだとしても、高橋氏を非難できる人間は、彼のようにリスクを冒してチャレンジしたうえで成果を挙げた者だけだろう。もう一度言うが、これはメンタリティーの話だ。高橋氏が経営者として活躍してきたことは周知の事実だが、そこへの評価とは別軸で考えるべき話である。

確かに、高橋がなり氏は異端だ。そして、それが故に苦しい状況に立たされることになるのだとも思う。ただ、「AVのおかげで農業は良くなったと言いたいんだよね」とあけすけにものを言う高橋氏の横顔に、悲壮感は漂っていなかった。それは、彼自身もまた、スター選手になることを諦めていないからであろう。

青木 勇気
@totti81