反「ハシズム」学者が橋下市長に勝てない理由―私の分析

北村 隆司

「『ハシズム』人気のわけは? 口撃受けた4氏の分析」と言う朝日新聞の記事は、記事の前提から間違っています。

「橋下主義(ハシズム)を許すな」と言う語呂合わせ本に「稿撃」を受けたのは橋下市長であって、彼は反撃したにすぎません。

「物事を単純化し、レッテルを貼って切り捨てる」と言う山口教授の橋下批判も。的外れの典型で、「『橋下』主義(ハシズム)を斬る」などと、レッテルを貼って切り捨てたのは、山口さんご本人です。


山口先生は、橋下市長の言動に「マッカーシズム」を感じると仰せになったそうですが、故マッカーシー上院議員が悪名を馳せたのは、意見の異なる相手から言論の自由を奪おうとしたからであって、弁論スタイルとは無関係です。ご自分の力量不足を棚に上げて、相手を「マッカーシズム」に結び付けるのは卑劣な印象を与えます。

中島先生は、橋下人気の理由を「東日本大震災で政府への信頼が失われ、不安を抱いた国民に『救世主待望論』が出ているのでは」と解説されたそうですが、東日本大震災は2011年3月11日。橋下氏が大政党の正式支持もなく80万票もの大差で大阪府知事に当選したのが、2007年12月だと言う事実をお忘れでしょうか? 思いつきで世論を惑わせる悪習はおやめ下さい。

その中島先生も、「東大一直線」の著者で漫画家、思想家の小林よしのり氏と「正論」誌上などで繰り返した「憲法九条とガンジー主義」に関するパール判事の見解を巡ってのバトルの方が、苦戦はされましたが、遥かに迫力がありました。

「私は精神科医で、政治の具体策を聞かれても判りません」と論戦参加資格を自ら放棄した香山先生や、しつこい子供みたいに、ビラの一字一句にこだわる薬師院先生などの政治論は、床屋政談から面白さを無くした低レベルで、これには驚きました。「羊頭狗肉」とは正にこの事でしょう。

「反ハシズム」学者の中では比較的質の良い内田樹先生が、自分から仕掛けた論争に参加したくないと棄権してしまったのは、フェアではありません。

いずれにせよ、各先生方はこの惨敗を機に、2・26事件の「兵に告ぐ」ではありませんが「今カラデモ遲クナイカラ「白亜ノ搭ニ帰ル」事をお奨めします。

この辺で、非難合戦は止めにして、政治討論で先生方がこれほど非力な理由を、私なりに分析してみました。

「橋下主義(ハシズム)を許すな」を書かれた四人の学者の致命的な弱点は、色々騒動を起す橋下市長の言動に引きずられ、相手方の手法を批判するだけで、日本に「何」が「何故」必要か! と言うテーマを示せない事と、テーマ設定に必要な理念と原点の二本柱に欠けている事です。

橋下市長が国民の注目を集めたのは、世論を二分する政策や、歯切れの良い弁論、相手を完膚無きまでに叩く激しさもさることながら、日本は「何」を「何故」「誰が」「何時」「何処で」「どの様に」すべきかを全体的な視点で捉え、その中から優先順位をつけて説明する能力に優れているからです。

橋下さんは、自分の理念と原点(オリジナルインテント)が確りしていますから、何処から攻められてもぶれません。又、間違ったと思えば直ぐ訂正し、知らない事は素直に知らないと認めるのも、いさぎよいのではなく、そうしないと原点が崩れるからです。

彼の戦略は、ガンジーの「塩の行進」戦略に似たものがあり、反ハシズム学者とはスケールが違います。

インドの独立運動の重要な転換点となった塩の行進は、英国植民地支配を支える収入源だった塩の専売制度に運動の焦点を絞った、ガンジーの天才的な戦略ですが、橋下市長の「新しい統治機構」を目標にした「都構想」戦略と通ずる物があります。

塩の専売制度は、誰でも海岸地域で作れるにもかかわらず、一般人が塩を作る事を禁じ、違反者には刑事罰を課し、労働者が金を払って塩を買う事を強制した制度で、日本の霞ヶ関と良く似た統治機構でした。

ガンジーが塩の専売制度に抵抗の焦点を絞った事は、地域、階層、宗教、人種的な境界を越えた共感を呼び、インド人大衆を広く動かすのに十分な力を発揮しました。

「都構想」は、これまでの個別政策中心の「対症療法」から、諸悪の根源である「官僚制度」と「中央集権」を追放する「根本療法」への戦略転換の象徴で、英国の統治機構を追放する事を目的とした「塩の行進」の役割りを果たすものです。

ガンジーの基本的な考え方の一つであるサッテイヤーグラハとは、サッティヤ(真実)とアーグラハ(説得)とを統合したものですが、これも、橋下市長の基本型で、朝から生テレビの論争で圧勝を呼んだ秘密兵器です。国民は、現場の「真実」なしの理屈だけの「説得」には騙されなくなったのです。

橋下市長の見逃せないもう一つの才能に、「特定の立ち場に立って、そのあるべき姿を代弁する」アドヴォカシー能力があります。この能力は「課題」を中心に「問題点」を分析し「適正手段」を選択する、客観的な論議には欠かせない能力です。

内田樹教授はその著書で「アメリカの初期設定のように、理念に基付いて建国されていない日本には、立ち帰る原点がない」と指摘し、国政に於ける原点の重要さを強調されましたが、橋下市長の強みの源泉として、個々の政策の良し悪しではなく、原点を持った稀な政治家である事も見逃せません。

視聴者の圧倒的多数が、橋下市長との論争で山口、香山、薬師院各教授が完敗したと判定した理由は、弁論技術の巧拙ではなく、理念の有無と現場把握力の差です。

反ハシズムの先生方が、然したる授業目的も設定せず、これだけ準備不足で大学の授業に臨んでいるとしたら、学生が気の毒です。

中島先生は御自分のブログで、橋下市長の弁論術を長々と分析しておられますが、学者先生が橋下市長に完膚なきまでに論破されたのは、中身が貧困だからであって、弁論術ではありません。

次回は、相手の弁論スタイルの批判ばかりでなく、日本の目指すべき目標や普遍的な課題に触れてみたら、少しは論議になるかもしれません。果たして出来るでしょうか?

北村 隆司