高齢化する日本を考える その2 --- 岡本 裕明

アゴラ編集部

今日は昨日からの続きで高齢化する日本を考えてみたいと思います。

昨日述べましたように平均寿命が延びる一方で余生を安定的に暮らせる仕組みに不安感を感じるようになってきています。

私の知るある一人暮らしの女性は年齢70歳ぐらいでしょうか? 年金はもらえていません。この人はどうやって暮らしているかといえば小さな赤提灯の店を経営しています。いや、経営というほどでもなく、客がいるときに店をやる、という程度かもしれません。ですが、立地の悪い古い建物で家賃は安く、一人でやればコストはほかに食材費と酒代ぐらいです。一日2~3組客が来てあわせて1万円でも落としてくれれば月に25万円。家賃が6万ですから材料費を引いても手元に10万円ぐらい残るかもしれません。

この人がここまで働くのはこれが命綱であるという気構えかもしれません。


80年代、アパート経営が流行りました。10室前後のアパートを建てて家賃収入があれば自分が病気をしていても収入がある、というのが謳い文句でした。不動産収入は自分の手間が少なく収益をあげられるという点がメリットでした。今の時代はアパート経営も簡単ではありませんが不動産はキャッシュフローを生む点で確かに安心感があります。

街の食堂の店主さんにはかなり高齢の方が頑張っているケースが間々あります。自分の腕に自信があり、退職する期限がないからです。鍋を持てる限り、現役を続けるのでしょう。同じことは理容師さんなど技術職の方に多いかもしれません。
そこにいえるのは何十年も人に頼らず自分自身の名前で仕事や副職をしてきたということでしょうか?

お勤めの方が定年後、ガクッと来るのは会社の名前と肩書きがなくなるからでしょうか?○○株式会社営業第○部部長 山田太郎さんには部下が「部長!」と声をかけてくれていました。決して山田さんではなく「部長」というタイトルだったということに注目しましょう。それは山田さんでなくて鈴木さんでもよいとも言えるのです。部下は「部長の権限」に用事があるとしたらどうでしょう。

そうは言えども高いレベルの教育と競争心を備えた企業マインドを持った定年退職者の方々は社名やタイトルがなくてもビジネスの一つや二つ、思いつくのではないでしょうか。そして気のあった仲間数人で小さな会社を興せばどうでしょうか? 売り上げからコストを引いた給与相当が僅かでも時給1000円程度を稼ぐつもりでやればいいのです。

それは年金や貯金に頼らない仕組みを自ら作り上げるということです。

街中には商店街の跡地、シャッター街が何処にでもあります。そこは持ち家の一階が店舗、だけど、シャッターはもう何年も開けたことがないという店です。こういう不動産は利用価値が非常に高いのに持ち家の人はその有効利用をほとんど考えているとは思えません。

もちろん、ネット系が得意な方はそちらで攻めてもよいでしょう。要は商売をする環境はいくらでもあるのに誰もそれをしていない、ということです。何をやったらよいかわからない、というならそれは自分が一つの世界に染まりすぎたかもしれません。いろいろな世界を覗いて刺激を求めることだと思います。

あなたの余生は誰も守ってくれない、そしてあなたはあと10~15年は生きていくのです。そんな状況で名案などありません。あなたに必要なのはキャッシュフロー。これにつきます。資産の食い潰しで毎年の決算で収入ゼロ、支出数百万円というのは家計的にも精神衛生的にも不健全そのものだと思います。

私がなぜ、僅かでもよいからキャッシュフローを生み出せ、と主張しているかと言えばそこは精神的安堵感が生まれるからなのです。気持ちがぎずぎすしなくなると、余裕が出て周りを見渡すことが出来るのです。余裕は「愛」に変わります。周りの困っている人を助ける気持ちが出たり、若い人に技術を伝授したり、或いは自分達の余生を内にこもらず、前向きに楽しんだりする開放感が出てくるのです。

私はこの前向きの精神を作り出すことが高齢化社会を迎える中で最大の薬だと思っています。頼るのは政府ではなく、自分の仲間達だというマインドチェンジが必要ではないでしょうか? 孤独な老人が増える理由はふさぎ込むからです。だからこそ、気持ちを前向きに保つ、そのためには「何かしている」というモチベーションが大事なのだろうと思います。

世界最速の高齢化社会を迎えつつある日本としてこの問題から目をそらすわけにはいかないのではないでしょうか?


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年3月18日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。