前回までは、維新の会が提案している首相公選制について解説してきました。今回からは数回にわたり、同会が提案している道州制について解説します。
◆道州制の一行説明
道州制の定義はいろいろあるのではっきり書くのは難しいのですが、あえて一行で説明すると「都道府県をいくつかくっつけてでっかい州にする。そして、中央政府が独占してたたくさんの権限や財源をその州に譲る。これによって、地方が今までみたいに国の指図どおりに動くのではなく、かなりの部分を自分たちの意思で決めることができるようになる。」というものです(細かい点は次回以降で解説します)。
◆なんで道州制をやるのか
結論から言うと、お金を稼ぎ、弱者を救うためです。
国のお金を超シンプルに説明すると、(1)個人や企業が資本主義的にガンガン稼ぎ、(2)その稼ぎを社会主義的に使い分配するという流れで動いています。
もし(1)ばかりやって(2)をあまりやらないと、物価や貧富の格差が広がる→低所得者層の不満UP→治安悪化&社会不安コースに突入します。「こんな国あるわけねえだろ!」と思うかもしれませんが、シンガポールは基本的にこの路線を突っ走ってきています(最近は少し(2)もやるようになりましたが)。
一方、もし(2)ばかりやってしまい、あまり(1)をやらないとどうなるのでしょうか。
一言で言うと、お金がなくなります。お金を稼ぐ以上に使ってばかりいたらそうなるのは当然です。大して働かず、昼間から酒を飲みまくり金を使いまくってる親父がいる家を想像していただければわかると思います(しかもこういう親父は大抵サラ金に借金があります)。
大抵の国はこれに近い路線をとります。金を稼ぐのは難しいし苦しいことですが、金を使うのは楽しいしラクだからです。なお、使いたい額だけ金を稼げない国は上記の親父と同様、ガンガン借金します。
もちろん日本も例外ではありません。むしろこの「金は借金してでも使いまくって、あんま稼ごうとしない」路線を、世界トップクラスのすさまじい勢いで突き進んでいます。
私は学生時代も役人時代もヘッジファンド時代もずっと国のお金の流れについて調べ考えてきました。その中でつくづく感じたことは、日本の財政は本当にやばい状態に近づきつつあり、お金も尽きつつあるということです。日本政府は莫大な借金をしまくりお金を使いまくっている一方、稼ぐ努力は怠っています。バランスが取れていないのです。
この結果、今の日本は「子供や孫のクレジットカードをぶんどって買い物しまくってる、あまり働かない祖父母や両親」みたいなものになってきています。クレカで借金すれば誰だって一時的には金銭的に豊かになりますが、これはあくまで借金にすぎず、本当に豊かになったわけではありません。単に借金のおかげで、本来あるべき水準以上の豊かさを享受しているだけです。今の豊かさは借金の上に成り立つ幻想なのです。幻想はいつかは壊れますが、そのときはすでに手遅れでしょう。
なお、もしかしたら「お金なんかなくったっていいじゃん!」と言う人もいるかもしれません。
しかし、お金がなくなるとどうなるのでしょうか。
一番困るのは母子家庭や障害者や子供などの弱者です。愛があれば何とかなるとかそういうきれいごとはウソです。私はヘッジファンドにいたときに時々貧しい発展途上国や貧困地区に行っていました。その中で、国にお金がないと弱者に対して国は何もできなくなり、放置され、悲惨な目にあうことを見てきました。今の日本もこの先お金がなくなれば、これに近いことになるでしょう。お金がないのに弱者を救うことはできません。「お金を稼がなくても弱者を救える」と言う人は、現実が見えていない単なる空想家、理想論者です。
私は、弱者は救われねばならないと考えています。そして、本当に弱者を救うためにはお金がどうしても必要なのです。
財政赤字は膨れ上がっています。このまま行くとお金はなくなっていきます。早めに手を打たないといけませんが、いったいどうやって手を打てばいいのでしょうか。
いくつかの手段がありますが、その中でも最も有効な手段の一つだと考えられているのが道州制です。これがうまく機能すれば日本はお金が稼げるようになり、浪費が減ります。そうすれば、今後も弱者を救い続けることができます。
もし日本にお金があり余っており、この先もこういう状態が続くのであれば、わざわざ労力をかけて道州制なんかやる必要はありません。
日本のお金がどんどん減っていく現状を変え、お金を稼ぎ、弱者を救い続けることができるようにするためにやるのです。道州制はこれらを実現するための、きわめて強力な武器になり得ます。
次回以降は数回にわたって、「どうして道州制でお金が稼げるのか」「リスクはないのか」「維新の会は道州制をどんな戦略でどう進めようとしているのか」あたりの点について、解説していこうと思います。