自民党の不思議

松本 徹三

消費増税法案は大詰めを迎えた。財政危機を防ぐ為には何等かの増税が必要だという事には、大方の国民もしぶしぶ納得はしている様だが、「増税の前にやる事が未だ沢山あるだろう」という気持は全く払拭出来ていない。

「増税の前に」と言うのでは、またまた恒例の「先送り」となり、「財政破綻に間に合わなくなる」リスクを抱えるので、国民の意見も分かれるだろうが、「増税と同時に」と言い換えれば、殆どの国民の気持を代弁していると言えるだろう。だから、野田首相がいくら「政治生命を賭ける」といった強い言葉を発しても、これとペアになるべき「政治改革案」や「成長刺激策」に迫力がない現状では、「財務省ペースの安易な増税」という印象がどうしても消えないのだ。


しかしながら、事態がここまで来ると、もはや野田首相の振った賽の目の良し悪しを論じてみても意味がない。今や、「法案が可決されるか否決されるか(又は先送りされるか)」「衆議院解散・総選挙は何時どんな形で行われるか」の二点のみが注目されるところであり、それによって「実際の政策遂行が早まるか遅れるか」が決まる。

理屈からいえば、「法案否決-野田内閣総辞職-新内閣成立」というシナリオもないとは言えないが、かつての「驚天動地の村山内閣成立」の事を思い起こして、どこかに潜んでいるかもしれない「稀代の策士」の暗躍をいくら想定してみても、「新内閣」のイメージは浮かんでこない。

いくら何でも「谷垣自民党」が小沢系と連携することなどはあり得ないと思うし、小沢―亀井―石原が連携して、その上で公明党を取り込んでみても、世の中を動かせるだけの勢力になるとはとても思えない(それ以前に、こんな「政治家の野合」が、政策遂行の遅延に苛立っている国民の支持を得られるとも思えない)。「みんなの党」は総選挙待ちだから、内閣総辞職では何の意味もない。

それにしても不思議なのは、上述の二点についてのキャスティングボードを握っている自民党の現状である。

「現実的な対案(修正案)」を出し、「これが受け入れられないのなら、あくまで増税案は拒否する」という姿勢を貫くのは当然一つの選択肢だが、この「対案」が見えてこないのが問題だ。現在の自民党は、ひたすら民主党の「食言(マニフェストの不履行)」と「無能力」を批判するだけで、「自分達ならこうする」という強いメッセージはどこにも見られない。

「かつて衆院選で大敗北を喫し、その後も一向に人気が回復していない」という自党の現実に対する自己批判も、一向に聞えてこない。外に出たのも、「立ち上がれ日本」に流れた老人達や、急速に求心力を失った桝添氏等だけで、若手は党内に留まっているものの、大きな力は発揮出来ないままでいる。

こんな状態では、仮に首尾よく野田政権を追い詰めて解散を実現したとしても、どうやって選挙戦を戦うというのだろうか? 真面目に対案を出す事もなく野田内閣の増税案を葬った事をどう説明し、自らは「財政問題(イコール増税問題)」について何を訴えるつもりなのだろうか? 「みんなの党」の躍進を牽制する為には、この党の「経済政策の甘さ」を衝くしかないだろうが、そこで使われる論理と野田政権の増税案を葬り去った論理を、どのように整合性を持たせるつもりなのだろうか?

かつては自民党の保守性に対してアンチテーゼを突きつけた民主党も、野田政権になってからは政策的には急速にかつての自民党に近づいた。野田首相は、言うなれば、過去のマニフェスト路線を自己否定し、「今はこれがベストだと考えています」と宣言したわけだが、これに対して自民党は、「考えが変わったのなら、解散してあらためて国民の信を問え」と言い続けるばかりで、自らの過去の考えや政策については、それを踏襲するのか、或いはその一部を自己否定するのかが、一向に明確でない。

そもそも、原発問題にしても、財政問題にしても、現在の政権を悩ませている多くの問題は、元はと言えば自民党の旧政権が路線を敷いたものだ。当然過去の過ちを認めて政策を修正する事を公言する局面があってもいいと思うのだが、既にお気楽な野党根性がすっかり身についてしまったのか、そんな素振りはいささかも見えない。

自民党は、かつての衆院選での惨敗の主な原因が、「民主党の空約束」よりは、むしろ「自民党自身の問題」、即ち「国民に愛想をつかされた旧態依然たるやり方」だった事を、もう忘れてしまったのだろうか? それとも、「新生自民党」をアッピールする方法が、いくら考えても出てこないという事なのだろうか?「増税と同時に行うべき政治改革」は、「大阪維新の会」にでも考えて貰うしかないと、匙を投げてしまったのだろうか?

野田首相は、増税案について自民党の協力を取り付けるのを今や最大の目標にしているのだから、自民党は先ずは自らの立ち位置を明確にした上で、野田首相の提案に対して是々非々でハキハキと意見を述べ、妥協すべきは妥協し、突っぱねるべきは突っぱねればよいのではないか? そうすれば、来るべき衆院選でも、「自民党は『何でも反対』の野党ではない」「早期復興と財政危機の防止の為には、与党への協力も惜しまず、国民に対する責任を果たした」と主張出来るのではないか?

逆に、それをしなければ、「自民党」は「常に変わらぬ責任政党」としてのレゾンデートルを完全に失い、「みんなの党」や「維新の会」はおろか、「分裂し、混迷する民主党」にまで席を譲ることになってしまうのではないか?「それでいいじゃあないか」と言う人達も多いだろうが、過去には幾つかの立派な仕事もしてきた一大政党が、このままずるずると長期低迷へと向ってしまうのは、あまりに惜しいという気もする。

人間は「誤りを犯す動物」だし、それは政治家も政党も同じ事だ。もし過去に間違った事を言ったりしたりした事が分かったなら、一番良いのは、その間違いを率直に認め、陳謝して修正する事だ。頬かむりして知らぬふりをし、みんなが忘れるのを待つのは多くの人達の常套手段だが、決して得策とは言えない。面子に拘って、あくまで間違いを認めず、間違った事を強行しようとするのは最悪だ。

マニフェストの間違いを認めて路線を修正した野田首相を、私は少なくともその点では評価している。これに対し、「マニフェストの不履行」をいつまでもネチネチと責め続ける自民党の現状は、私には全く評価できない。民主党のやった事、言っている事でも、良い事は良い事として評価する度量がないのも実に情けない。

自民党が、今の時点で、過去の自らの政策をも自己批判し、これを正した新しい政策を打ち出す事は、何も恥じるべき事ではない。いや、むしろ、この様な「自己否定」こそが、「生まれ変わった自民党」「未来志向の自民党」を広く国民に印象付ける為の「唯一最良の方策」と考えるべきだ。