4月2日という始まりの日、私は都心から離れた場所で暮らしているため、着慣れないスーツに身を包み期待と不安の入り交じった顔を見かけませんでした。ただ、身の回りには新生活をスタートさせた若い人たちが多くいて、そんな彼らに思いを馳せながら、少しでも励みになればと贈る言葉のひとつでも書いてみようと思った次第です。
さて、それでは早速。最近では、社会保障制度を語る文脈において世代間格差の問題を指摘したり、非正規雇用が増えて雇用の不安定性が高まることを警告したり、未婚化・晩婚化・少子化のネガティブスパイラルを憂いたりなど、様々な場面でいわゆる「若者はかわいそう論」を見聞きすることができます。それどころか、「ゆとり世代はハングリー精神が足りない」「若者が夢を見られない国に活力は宿らない」などという元も子もない苦言さえ散見されます。
確かに、それはある程度は現実であるし、そういう現実を見せてくれる先人たちの知恵やアドバイスはありがたく頂戴すべきでしょう。ただ、尊敬の念を抱きながらも、半分は聞き流していいと思います。なぜなら、彼らは当事者ではないから。
30年後を憂う人と、30年後を生きる人はイコールではありません。もちろん、若者の未来を憂い、全身全霊で支えてくれようとしている方々はいますが、極論すると外側からの声なのです。それが現実なのだとしたら嫌でも体感することになるけれども、起こってもいない「厳しい現実」を見て絶望していても仕方がない。それよりもまず、自分の問題として捉える必要がある。そういう話です。
ためになるノウハウやハウツーを期待して読みはじめた方には申し訳ないのですが、ここにはそういったことは書かれていません。所詮は30過ぎの成功者でもなんでもないイチ社会人の戯れ言でしかないですし、そこに何を読み取るかは人それぞれです。
「牧歌的過ぎて慰めにもならん!」と思う方は、厳しい現実を掘り下げ、知識や経験を貯えていけばいいですし、「無責任なことを言いやがって!」と思う方は、責任感を持って言動をしている方を見つけ、それに倣えばいいですし、「聞きたいのはこんな話じゃない!」と思う方は、今すぐ読むのをやめて違うことに時間を使えばいいでしょう。
私が言いたいことは単純です。時代がこうだからとか、人がああ言っているからとかは関係なく、人間はいつも一人であり、自分に対する当事者は自分だけということ。そして、そこからは逃れられないということです。
もちろん、家族や友人、恋人、同僚はあなたを励まし、力になってくれるはずですが、「私」と「あなた」は決して交換できません。社会人になり複雑な利害関係の中に身を置くことで、他人同士が分かり合うことの難しさをより強く感じるだろうと思いますが、好むと好まざるとにかかわらずそういうものなのです。結局は、自分自身が自分をどうするのかという部分にしか関与できません。
そして、それは人が何を言おうと自分を変えられないということでもあります。もちろん、「俺は俺、あんたはあんた、何をしようが何を考えようが自由だよね」ということではありません。あくまでも、自分を変えられるのは自分だけという権利を得ているという意味においてです。自由とは厳しいもの。すべては本人次第です。
会社や組織に入り、コミニュケーション能力が高く器用な同期を見て羨ましいと思ったり、いち早く初受注を決めるライバルを尻目に焦りを募らせることもあるでしょう。そして、そんな自分を情けない、弱い人間だと蔑み、やっていけるだろうかと頭を抱えてしまうかもしれません。会社や組織には、嫌な上司や理不尽なミッションや心身ともにハードな仕事があります。
それに、何かを企画したり提案したりすれば、いいねと賛同する人と、いやそれは無理だと反対する人が出てきます。自分がどんなに正しいと思っていても、それとは相反することを正しいと思っている人もいます。その意味では、人の評価や選択は決められないということを身をもって体感する場所といっても過言ではないでしょう。
厳しい面ばかりにフォーカスしているように見えるでしょうか。もちろん、仕事を通して大きく成長できますし、困難を乗り越えたときの達成感は格別ですし、新卒入社の同期という存在は特別なものです。ただ、それこそ体験して味わえばいいことですし、わざわざ言うことではないと思うのです。
伝えたいのは、そういったプラスの部分がマイナスの部分に飲み込まれないようにしてくださいということ。あなたは相対的な評価でマイナスをつけられるかもしれませんが、それはあくまで部分的な話です。存在自体がマイナス、無価値ということには決してなりません。だから、そんな風に思い込んで自分を追いつめることがないようにと願っています。
私自身、恐れ多くもこのように様々な分野で活躍する専門家の方々に混ざって書かせてもらっていますが、読者の方からただの感想文だとか、質の低いものを書くななどと言われてしまうこともあります。未熟だから仕方ない部分はあるのですが、だからといって、それが疑いようのない事実になるわけでもありません。
そう感じる人がいたり、無自覚に不快にさせてしまうことがあるのは事実ですが、そうでない人、むしろ価値を感じる人がいるのもまた事実。100人中100人に評価される必要はないし、そもそもそれは狙ってできることではありません。結局は、今の自分にできることに一生懸命取り組むしかないのです。
甘ったれた考えかもしれません。でも、私はあえて理想論にしか見えないことや、言っても仕方がないことを言うようにしています。何故かと言えば、熱っぽく語ったり、希望的観測を述べるのは恥ずかしいことかもしれないけれど、同じように考えている人がいるんだと安心してくれる人が少なからずいるからです。私のように無名で発言力など無いに等しい人間でも、伝えることができるからこそ、バカみたいにキレイゴトを言うのです。
「こんなお気楽なバカでもこうしてなんとか生きているのだから、人生捨てたものじゃないよ」というように。とにもかくにも、私は無条件で応援したい。確かな根拠などなくても、エールを送りたい。あなたの未来に、幸多からんことを。
*卒業式を迎えずしてこの世を去ってしまった若き友人に捧ぐ
青木 勇気
@totti81