今日(4月20日)の日本経済新聞朝刊に「緩和へ空前の政治圧力」という記事が載っていたが、「財政と社会保障制度の持続可能な姿を示す」という本務を果たすことのないままに、日本銀行にプレッシャーをかけることで矛先をかわそうとする、いまの政治の責任転嫁的な体質はどうにかならないものかと思う。
日銀法の改正を検討するというのは、結構だが(もちろん、優先順位としては、財政と社会保障制度の持続可能な姿を示すことに注力することの方が先だが)、インセンティブ・システムの設計は単純で簡単な仕事ではないことは十分に理解した上にしてほしい。少なくともマルチタスク問題くらいは知った上で、議論してもらいたいものである。
池田さんも書いているように、日本銀行の目的は法定されている(なお、本記事の趣旨は、この池田氏の記事と全く同じである)。その内容を日本銀行のホームページでは、次のように紹介している。
日本銀行法では、日本銀行の目的を、「我が国の中央銀行として、銀行券を発行するとともに、通貨及び金融の調節を行うこと」および「銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資すること」と規定しています。
また、日本銀行が通貨及び金融の調節を行うに当たっての理念として、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を掲げています。
この「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」ように「通貨及び金融の調節を行うこと」は、真っ当な目的規定であると思う。
その達成度が、対前年比の消費者物価上昇率といった単一の指標で計測可能なものであるならば、話は簡単である。しかし、国民経済が健全に発展しているかどうかは、明らかに様々な角度から、即ち複数の次元で、評価されるべきものである。このように複数(マルチ)の次元で成果が評価されるべき仕事(タスク)において、計測が比較的容易な次元にのみ力点をおいて評価を行うと、かえって望ましくない結果を招来しがちだというのが、マルチタスク問題である。
例えば、一般的な製品の製造においても、その製品の生産量と品質の両面が重要である。すなわち、量と質という2つの次元で評価されるべきものである。けれども、量は測定しやすいが、質の測定は難しい。そこで、量にだけ着目してノルマを課すようなことをすると、悲惨な結果になる。要するに、質を度外視した(質の面で手を抜いた、それゆえ劣悪な品質の)製品が大量に作られる結果になる。これは架空の話ではなく、旧社会主義国において一般的に観察された現象である。
マルチタスク問題の観点からは、比較的に測定しやすいインフレ率に関してのみ目標を設定し、その達成度に応じて強力なインセンティブを付与する(例えば、未達の場合には総裁その他を解任するとする)と、他の次元を無視してインフレ率目標だけを達成させようとする行動をもたらすことになると予想される。副作用を気にしなくてもいいのなら、インフレにするだけなら、方法はいくらでもある。
こうしたことが本当に望ましいと考えるのかが真の争点である。量に関する強いインセンティブを付与しても、質には影響はでないと高をくくっていると、とんでもない帰結になりかねないことを警告しておきたい。デフレとは「持続的な物価下落」を指すというのが公式の用法のはずであるが、日常的には「経済の低迷した状況」を総称するものとして使われている。本当に脱却したいのは、「経済の低迷した状況」のはずであるが、それが「持続的な物価の下落」さえ止めれば実現できると思うのは、定義を取り違えた軽率な考えである。
参考文献: Holmstrom, B. and P. Milgrom (1991), “Multitask Principal-Agent Analyses: Incentive Contracts, Asset Ownership, and Job Design,” Journal of Law, Economics, & Organization, Vol. 7, Special Issue, pp. 24-52.
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池尾 和人@kazikeo