情報通信の「グランドデザイン」の作り方

松本 徹三

先週の記事では電力のグランドデザインについての私の考えを述べたので、今週は情報通信についての考えを述べさせて頂きたい。情報通信が、電力同様「国民の生命線を支える国家インフラ」である事は間違いない一方で、「競争環境を作ってこれに委ねるべき分野」と「自然独占に近い施設を、公正且つ効率的に運用すべき分野」が並存する点でも、情報通信は電力に近いと考えるからだ。


一昨年の「光の道」議論でも、本来はこの事がもっと深く議論されるべきだったのだが、当初の提言があまりに性急だった為に、議論は熟成しなかった。「光の道」の提言は、本来は、教育や医療の問題とも関連した「全国民に等しく最高レベルの情報通信環境を提供すべき」という議論と「税負担なしにこれを実現する為には、如何なるインフラを構築するべきか」という議論の二つが複合したものだったが、合意されたのは、結局は「光回線網の敷設目標の若干の前倒し」と「NTTの機能分離」だけだった。

私自身は、オーストラリアやシンガポールでの先進的な実態をつぶさに見ていた事もあり、「日本が世界に先駆けて理想的なグランドデザインを完成させる事が出来たら」という強い思い入れがあったのだが、世間の人達は「ソフトバンクが自社の利益の為にNTTに喧嘩を売っている」というような低いレベルでしか見てくれず、その頃の議論の成り行きには、日毎に失望するばかりだった。

しかし、あれから相当時間がたった事でもあり、今回は、もう一度「天下国家」の立場から、あらためて「情報通信のあるべきグランドデザイン」について論じさせて頂きたい。

通信の世界では、日本最大の企業集団であるNTTグループがグランドデザインの中枢にどっかりと構えているのは、誰にも否定できない事実だから、この議論は当然NTTのあり方にも関連してくる。率直に言えば、NTTが今のまま「特殊な会社」として手足を縛られ、曖昧な形で存在し続けてくれた方が、ソフトバンクの様な会社にとっては望ましい事なのかもしれないが、今後は、会社の同僚の方々から「要らぬ事を言ってくれるな」と言われる事も覚悟の上で、「筋肉質の『新NTT』を作るべし」という前向きの議論を展開したい。

始めに断っておきたいが、私はNTTという会社が憎いわけでは決してなく、NTTの中には敬愛する人達も数多くいる。しかし、「意味不明の『組織防衛本能』に根ざす安易な『保守主義』が、日本の情報通信産業に害をもたらしている」という事実については、遠慮なく糾弾し続けたい。だから、私の「グランドデザイン」の議論は、当然の帰結として「NTT分割論」を内包する。そして、「先回合意された『機能分離』の理念を徹底していけば、それは自然に『構造分離』へと繋がり、やがてはNTTの経営陣も、夢から醒めたように、それが自分達の為にもベストの選択だと考えるようになるだろう」と楽観もしている。

さて、情報通信の「グランドデザイン」を語るからには、その前に、「そもそも情報通信システムとは何か」という事をもう一度おさらいしておく必要がある。

どの国でも、長い間、「通信システム」とは即ち「電話システム」だった。電話とはそれ程のキラーアプリケーションだったのだ。そして、各個人の間の「1対1」のコミュニケーションである「電話」と並行して、「1対多数」のマスコミュニケーション、具体的にはテレビやラジオの「放送サービス」も隆盛した。

しかし、ここ十数年の間には、これまでの「電話」や「放送」とは全く異なった技術をベースとするインターネット・サービスの比重が急激に増大しつつある。今や、若い人達は電話で話すよりも数倍の時間をメールの交換に費やし、テレビを見るよりも数倍の時間をウェブへのアクセスに使っている。

電話は、人間が口で情報を「インプット」し、システムがそれをリアルタイムで他の人間の耳へと「アウトプット」するものだ。しかし、インターネットでは、人間は口や手(指)で情報やコマンドを「インプット」したり、カメラで撮影したものを「インプット」したりする一方、他の人や「蓄積された情報源」から、文字や音声や画像による様々な「アウトプット」を受け取る事になる。

従って、これを仲介するシステムは、単に「情報の伝送(通信や放送)」の機能だけではなく、「蓄積」や「加工」の機能も併せ持つ必要がある。そして、この「蓄積」や「加工」は、人間が持つ端末機の中で行われる事もあれば、遠隔地のサーバー(クラウド)で行われる事もある。(最近の傾向は、出来るだけ端末機の仕事を少なくする「シンクライアント方式」だ。)

また、電話は「非常に小さなビット数が継続して流れる」という特質をもった「人間の声」を扱うものであるのに対し、インターネットの場合は「膨大なビット数のバースト」を効率的に処理する必要がある為に、ネットワークのあり方も根本的に変わってくる。後者のネットワーク(IP Network)が前者を包含する事(Voice on IP)は比較的容易であるのに対し、前者が後者を包含する事は始めから不可能だから、現在は、「前者が徐々に縮小し、やがては後者が全てになる過渡期」であると言ってもよいだろう。

また、IP Networkは、元々は「ベストエフォート方式」と呼ばれ、音声や映像を途切れなく(遅延なく)伝送する事は前提にしていなかったが、NGNとも呼ばれる新しいネットワークは、必要に応じてこれを保証する事(QoS)を前提にしている。

「放送」というものも、「情報の伝送」という「機能」だけに絞って言うなら、「リアルタイム片方向の1対多数の通信」であるに他ならないわけだから、「将来は統一的なIP通信の体系の中の一形態になる」と見ておいても、何ら差し障りはないだろうし、そのように位置付けた方が、真にユーザー・フレンドリーなサービス群が、安価に提供出来るようになるだろう。

以上、長々と「情報通信システムの基本」について話したが、こうした事の全ては、基本的に自由競争下で支障なく行われ得るものだ。だから、国の「グランドデザイン」と銘打って、あらためて大上段に振りかぶって論じるべき事ではない。

しかし、「伝送」の為の「物理的手段」という事になると、話は全く変わってくる。物理的回線は「有線」と「無線」に分かれるが、前者には「光ケーブルなどを敷設する場所(電柱や管路)」の問題があり、後者には「限られた周波数の使用免許」や「電波を送受するアンテナを設置する場所(鉄塔の建設を含む)」の問題がある。従って、ここには、「国家の政策(グランドデザイン)」というものが大きく関係してくる。

人間とのインターフェースとなる端末機は、大画面のTV受像機の様に固定された場所に設置されることを前提としたものと、人間が常に携帯して何時でもどこでも利用する事を前提としたものに分かれるが、後者については無線伝送に対応している事が当然必須となる。

但し、「無線システム」というものは、結局は「端末と繋がるところが無線になっている」事を意味するに過ぎない。限られた周波数を多くの利用者が共用する無線システムには、有線の光通信システム等とは比較にならぬ程の容量的な制限があり、従って、全ての無線システムは何らかの「ノード」でサポートされている必要があり、その「ノード」の向こうは有線システムになっているのが普通だ。(そうでないと、膨大なデータトラフィックはとても処理できない。)要するに、殆ど全ての通信は「有線と無線の複合システム」である事を運命付けられているという事だ。

周波数もあまり細分化すると利用効率が悪くなるが、それでも、一つの周波数帯を2-3社の通信業者が分け合う程度ならさして大きな問題はない。しかし、無線通信用のノードを設置する鉄塔や物理的な光ケーブルの敷設となると、これをレセ・フェールにすると、二重投資、三重投資の負担が過大になり、それがユーザー価格に転嫁される恐れがあるだけでなく、先行事業者や規模の利益を持っている事業者のみが経済合理性を持ち、新規事業者の参入は事実上不可能になってしまうという恐れもある。

このように理解すると、国としての解決策も自ずと見えてくる。技術革新がめまぐるしいハイテク分野や上部レイヤーに関係するところは、基本的に自由競争に委ね、「場所の専有」や「敷設工事」が関係してくるところは、投資効率(二重投資の防止)を重視して、「公益事業」と位置付けるのがよいという事になると思う。言い換えれば、自由競争に委ねても新規事業者が参入出来る分野は、国としては「公正競争条件の整備」のみに意を注ぎ、逆に、そうでない分野は、放置すれば何れにせよ寡占または自然独占になるだろう事を見越して、始めから割り切って「公益事業」と位置づけるべきだという事だ。

独占に近くなるのが避けがたい分野では、価格を市場原理に委ねるわけにはいかないから、昔ながらの「コスト・プラス・フィー方式(総括原価方式)」によって価格を定める必要がある。こうなると、この分野は、組織的に他の事業分野から完全に独立させる一方、全ての経営情報を完全に透明化して、国や利用者の前に100%開示する必要がある。この「公益会社」の仕事は「回線の卸売り」であるから、あらかじめ定められた標準に準拠した設備を運営する全ての通信事業者に対しては、公正無差別の価格で相互接続を保証すべきは当然である。

この事を現在のNTTに当てはめて見るなら、それを実現するには、実は何の障害もない事が分かる。技術的には、物理的な伝送施設(具体的には光ケーブル)とNGNの終端を切り分けるインターフェースを簡略化し(複雑なものはNGN側に吸収し)、このインターフェースを全ての事業者に開放すればよい。各事業者はそれぞれに自分達のNGNを構築し、必要に応じて、その終端をこの公益会社の伝送網に繋ぎこめばよい。

組織的には、この伝送施設を保有・運用する会社は、現在のNTT東・西から分離独立させて、これを公益法人として運営すればよい。残ったNTT東・西やNTTコミュニケーションは、現在のNTT法から自由になり、あらゆる技術的可能性や新しいビジネスモデルを貪欲に追及して、世界に羽ばたいて行くべきだ。

私は、今もなお、「短時日のうちに日本中のあらゆる場所が光ケーブル網で繋がれ、メタルと光の二重構造が一挙に解消されて、世界で最も低コストで高性能な情報通信インフラが日本で実現する事は可能だ」と信じているし、何とかしてそれを実現したい。しかし、先の「光の道」の議論では、この理想とNTTの構造問題がごっちゃになって論じられた為に、議論が収斂しなかった。

本来は、「日本の情報通信のグランドデザインのあるべき姿」が先ず論じられ、その流れで「NTTの構造問題」が論じられ、最後に、その新しい体制を前提として、「どうすれば『光の道』の理想が実現出来るか」を議論するのが筋だと思う。この小論がそのスタートポイントになる事を願ってやまない。