産業の国際競争力の高め方

松本 徹三

米国が自動車を含む各種の製造業で日本やドイツに押され始めたのは、もう30年以上も前の事になるが、米国が「国際競争力」で自信を失う事はなかった。それは、将来製造業以上の経済効果をもたらすだろうと見做されていた「情報産業」でリーダーシップを取る自信があったからだろう。「金融ビジネス」ももう一つの柱だったが、「金融ビジネス」しかなかった英国と異なり、「情報産業」があったので片肺飛行になる懸念はなかった。


「情報産業」の定義は難しいが、一言で言えば、「コンピューターや通信機器、それを支える半導体やその他の電子技術、及び、それをベースにした各種のサービス産業」と言えるだろう。航空宇宙産業や軍需産業は、8割方は技術的に同根だし、テレビや映画などのエンターテイメント産業も、関連産業として位置づけられるだろう。今日に至るも、これ等の多くの分野での米国のリーダーシップは揺るがない。

これに対し、製造業の多くの分野で米国に追いつき、追い抜いたかに見えた日本は、今や、同じ分野で韓国と中国に代表される中進国に追い上げられ、一部では既に追い抜かれている。にもかかわらず、これに代わる新しいチャンピオンが見出せていない。それどころか、米国にとって救世主となった「情報産業」に関しては、むしろ韓国と中国に対して比較劣位に立っているのが大きな問題だ。

その象徴が、「ソニー、パナソニック、シャープ、NEC、富士通、東芝、日立が束になっても、最先端のスマートフォンの分野ではサムスン一社に遠く及ばない」というエレクトロニクス業界の悲しい現実だ。それだけではなく、通信システムでは、もはや日本メーカーは名前さえ聞く事はなく、欧米メーカーのみならず中国メーカーにも大差をつけられているし、クラウドの中核となるシステムや、その他の種々のシステムソフトの分野でも、日本メーカーの影は薄い。

高度な組み立て産業である自動車、メカトロニクス、精密機器や光学機器、メモリーや一部のパッシブな電子部品、材料工学などの分野では、日本メーカーはなお相当の競争力を維持しているのに、今後益々重要性を増していくだろう「システムLSI」や「コンピューターと通信の複合システム」などの分野では、押しなべて著しく劣勢になっているのは何故なのだろうか? 一言で言えば、「構想力」とそれをベースにする「ソフトウェア」が弱点のようだが、それを突き詰めていくと、結局は社会構造や文化の問題に行き着くような気がする。

日本の企業には、桁外れの「構想力」を持ち、「積み上げの成果を一気に無力化するような発想の飛躍」を平然と行えるような人間は、殆ど見当たらない。仮にいたとしても、保身第一の何層もの中間管理層の壁に阻まれて、自由に動けなくなってしまっているのだろう。「終身雇用」や「年功序列」を未だに「美しい日本の伝統」として賛美している人達がいるのだから、非効率で不公正な日本の企業文化の壁はそう簡単には崩れそうにない。

それでは、大企業からはみ出したそういう人達に「自由に仕事をする場」を提供するベンチャー企業群が整備されているかといえば、それも十分ではない。新技術などで可能性の芽が仮にあったとしても、日本市場は小さすぎ、始めから世界市場に打って出る力を誰かに求めても、それだけの意欲と能力を持った人には滅多にお目にかかれないのが現実だ。結果として、どこを向いても八方塞がりに近い状況なのだ。

こんな事は既に繰り返し語られており、もう聞くのもうんざりだと思っている人達は多いだろう。また、こういう話になると必ずアンチテーゼとして出てくる「物づくりへの回帰」「職人気質の賛美」「町工場の奇跡」といった話ももう聞き飽きた。(というよりも、こういう話は、いくら良い話であっても、経済効果で見ると微々たるものだ。)ゲームやアニメのようなサブカルチャー部門はかなり健闘しているが、中・韓の追い上げも急で、少なくとも独走態勢ではない。

「では、どこをどう直せば、日本の産業全般、特に今後も益々重要性を増す『情報・通信・エレクトロニクス分野』の競争力を高める事が出来るか」を、もうそろそろ真剣に且つ具体的に議論すべきだ。その場合、各企業や各個人がやるべき事は、それぞれにやればよいだけだが、国としてやる事があるのなら、方々で声を上げて、政治家や官僚を突き上げていくべきだ。

取り敢えず、今回は「ここは直さなければならない」と思うところを、以下の通り順不同で列記させて頂き、今後の議論につなげたい。

1)先ず、槍玉に上げるべきは「教育」だ。小・中学校や高校では、「きちんと自分の頭で考える自立した人間」を育てようとしていない。(教育の話になるといつも出てくる「国旗や国歌を尊重する教育」も勿論必要なことは認めるが、それ以上に重要なのはこれだ。)更に、細かい事を言うなら、英語やコンピューター・テクノロジーの教え方も、現状では酷すぎる。

2)大学教育(現在の小・中・高生やその親の最大の関心事である「受験技術の競争」が終わった後の教育)はもっと酷い。日本の大学生は平均すれば米国の大学生の半分も勉強していないだろう。「問題解決」の基本トレーニングを受けている新卒の学生は少なく、プレゼンテーションやディベートの技術も殆ど学んでいないので、就職しても即戦力にならない。

3)もし教育に問題があるのなら、若い人達やその親達にとっての憧れの的である大企業は、どんどん注文をつけてこれを変えていく力を持っている筈なのに、そういう動きは全く見られない。それどころか、大企業の人事部自体が古い体質から抜け切れておらず、春の新卒の一斉採用に象徴されるような「採用方針」も、昇給や昇格を決める社内の「人事政策」も、極めて古めかしく、硬直的であるように思える。

4)企業や官庁の中では、縦割りの弊害がしばしば見られる。また、殊更に「技術系」と「文科系」を分けていて、それぞれの間で相互不可侵条約を結んでいるのではないかと疑われる程だ。「顧客本位(マーケット重視)の姿勢」や「問題解決型のアプローチ」が企業内で確立していれば、そんな風になる筈はないのだが、実態がそうなってしまっているのは、企業文化自体が多くの場合「サプライ・プッシュ型」だからだろう。

5)「年功序列」や「終身雇用」の伝統と、「出る杭を打つムラ社会の構造」「勤務先を変える事を裏切りと見るような奇妙な心理」「失敗した時のペナルティーが高すぎる事」等々が、人材の流動性を低くし、「仕事と人材のミスマッチ」や「チャレンジ精神の喪失」を日常茶飯のものにしている。

6)情報リテラシーの低い中高年層が組織内で権力を持ち、情報化と効率化に対する抵抗勢力となっている状況が今なお散見される。こういう理由もあってか、一般に日本企業のIT装備率は低く、これが明らかに生産性を押し下げている。公官庁では特にその傾向が強く、電子政府の実現も「道遠し」の感がある。

7)多くの企業が、市場を「国内」と「海外」に二分して考え、「先ず国内市場で実績を積み、それからその同じ製品を海外で売る」事を考えている様だが、こんな事をしていたら、当然海外市場で成功することは難しい。その結果として、利益を上げ易い国内市場の担当者が社内で勢力を伸ばし、失敗し易い海外市場の担当者の士気は落ちてしまっている。

8)電力や通信の様な分野では、独占、又はそれに近い立場を占める事業者が、ファミリー企業等を育てる為に独自の規格や特殊仕様の壁を作り、競争力のある海外メーカーなどを排除する傾向があった。この為、多くの日本メーカーが安易な環境に安住して国際競争力を失った。(可愛い子に旅をさせない過保護の親が、子供達をひ弱にしてしまった。)

9)コンピューターと通信と放送が融合する「マルチメディア」という言葉が生まれてから既に20年近くになるが、諸外国ではコンピューター技術が速いペースで中核を占めるに至ったのに対し、日本では、NTTに代表される通信事業者や放送会社が、自らの伝統や得意技に固執して「融合」への抵抗勢力になった。特に、政治力のある放送会社は「通信と放送の融合」にまで反対してきた。

10)「多くの産業用の情報システムや、医療システム、教育システム、エンターテイメントシステム等を効率的に動かす為の基本的バックボーン」となるべき「国の通信インフラ」は、民度の高さと地理的条件に恵まれた日本では、世界最先端のものがすぐにでも構築されていてもおかしくないのだが、「組織防衛」と「労働組合」を優先するNTTの保守主義が壁になって、遅れている可能性がある。

11)中小企業では、試験設備の不足などで高度な技術開発や検証が難しいが、これをサポート出来る筈の大学の研究室等が、現状では必ずしも助けになっていない。また、NTTの研究所に代表されるような巨大な研究機関は、組織運営が硬直化して、斬新な発想の芽を摘みがちだ。(1990年代のNTT分割論では、「日本の通信技術の競争力を維持する為には巨大な研究組織の存続が必須」という主張がなされたが、これはむしろ逆効果だったのではないかと思われる。)

12)諸外国では、通信については、「電波免許」や「相互接続」の公平性を監督する規制官庁(例えば米国のFCC)と、「産業政策」や「利用者の便益拡大」を進める部署が分離されているのが普通だが、日本では総務省一本であり、しかも、産業振興を考える立場にある経産省とは別組織になっている。これでは強力な情報通信産業の振興策は期待出来ないし、今後重要となる「電力と通信の融合」にも不便だ。関係省庁の再編成が望まれる。

この様に、今すぐにでも何等かの施策を講じるべき事は枚挙に尽きない。