中国の重慶における薄熙来氏の不動産開発に絡む利権問題は国をあげての大騒動になっています。手法的には典型的な地方都市における賄賂や不正資金捻出の方法であり、ある意味古典的やり方であります。
不動産はその土地ごとに用途が決められ、そこにどれだけの大きさの何が建てられるかは厳密に決まっています。更にその決め事は世界中、大体地方自治体が管理しております。よってルールや条件をどう設定するかで非常に大きな経済的価値の変化をつくりだすことがいとも簡単に行えるのです。
中国の場合はそれを個人の懐に入れてしまうことで問題化しましたが、ここバンクーバーではそれを公共のために使うという点で大きな意味合いの違いがあります。
バンクーバーでは開発業者が住宅を建てる場合、住宅が出来ることによる想定居住者数の近隣へのインパクトをあらゆる方面から勘案し、そのインパクトを開発業者に負担させるという発想をしています。例えば、ある開発をすることで住宅400戸、想定人口増は1000人が生まれるとしましょう。その新たに増える1000人の人口が必要とする社会インフラは何でしょうか?
道路、駐車場、コミュニティーセンター、託児所、消火栓設備、上下水道などのインフラ、図書館、学校、公園、公共芸術…
バンクーバー市は想定人口増に対応するそれら社会インフラの整備を開発業者に義務として負担させています。大規模開発なら実際のインフラそのものを、小規模開発なら金銭に換算した形での負担です。
今、バンクーバー市ではこの発想が正しいのか大きな議論となっています。なぜなら、開発業者はこれら開発の付随コストを全て住宅の販売価格に上乗せするだけの話だからです。それが何%か、単純計算ではないと思いますが、5%ぐらいあってもおかしくないと思います。バンクーバーの住宅価格が何故世界有数の高さなのか、そこにはいくつもの理由がありますが、この開発業者に何でも負担させるという発想に所以するところも非常に大きいのです。
バンクーバーも80年代初頭まではインフラ整備は役所が市債を発行し、その資金でそれらインフラを整備しました。しかしながら、当時の市長、ゴードンキャンベル氏(後にBC州首相も歴任)は「開発業者は儲けているのだからそれぐらい負担させるのが当たり前」という発想をしました。その発想とは、10儲けているならそのうち、半分をインフラ代でよこせ、というつもりだったのだと思いますが、残念ながら開発業者がそんな柔なものではありません。追加の5のコストがかかるなら全部で15上乗せしたのです。
中国とバンクーバーで起きていることを比べてみましょう。
双方ともエンドユーザーである買い手は高い不動産を買わされています。ですが、中国の場合には賄賂という口利きの人のポケットに消えています。バンクーバーの場合にはインフラ整備という形に変わっています。
結果としてバンクーバーは僅か20年で別世界のように充実した素晴らしい都市に変貌しました。
バンクーバーでは今、このやり方は間違っているのではないか、住宅価格を下げるためにはコンベンショナルな市債を発行するなどの方法に頼るほうがよい、との意見が出ています。しかし、これは経済的に最悪の結果を招きます。この街において不動産開発業者が都市計画の一翼を担っているという役割分担を20年以上続けた以上、それを途中変更することは不可能なのです。
中国で農民から安く土地を買い入れ、開発業者が高く買い取る仕組みは修正する必要がありますが、これですらよほど注意してドライブしないと中国版バブル崩壊を招きやすい難しい舵取りを要求されることになると思います。
不動産に対する大方針の変更はそれぐらいセンシティブだということなのです。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年4月29日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。