世田谷区経堂で飲食店を成功させるには --- 島田 裕巳

アゴラ編集部

親族のなかにレストランを経営している人間がいるので、その人間と飲食店のあり方や経営の仕方について話をすることがよくある。ちょっとしたことで、客が来り、来なかったりする。

そのため、自分が住んでいる世田谷区の経堂でも、新しい飲食店ができるときには、いったいどうなるだろうかと、その先行きを考えてみる。成功しそうに思える店は少なく、これはダメだろうと思っていると、案の定、開業してすぐに休業していることが多い。

私の行きつけの店に「季織亭」という一風変わったラーメン店があるが、その主人と話していると、いつも経堂に飲食店を出すのはかなり難しいという結論に至ってしまう。


もちろん経堂でも長く続いている店があり、繁盛しているところもある。だが、栄枯盛衰は激しい。最近も、3つばかり新規開店したが、開業前から大丈夫だろうかと思うようなところもある。それも、経堂という地域がどういったところなのか、十分に把握していないままに開店しているように見えるからだ。

経堂には、主な商店街として、駅の北には「すずらん商店街」があり、南には「農大通り商店街」がある。農大通り商店街は、東京農大の学生たちの通学路になっていて、そうした学生相手の、とにかく安い店が安定して繁盛している。

たとえば、サカヰ精肉店というとんかつの店は、ソースカツどんを390円、ロースカツ定食を490円にまで下げて、客が入るにようになった。なにしろライバルは、向かいの松屋である。農大通りで勝ち抜くには、よほど値段を押さえないといけない。

一方、北のすずらん商店街や経堂駅周辺には、安いことを売り物にしている店は少なく、むしろ味で勝負しているところが多い。よく知られたところでは、美登利寿司とその兄弟店、寿矢がある。ほかにも、日本料理、イタリアン、フレンチなどの店がいくつもある。

そうした店に要求されるのは、まず第一に「うまい」ということである。それは経堂以外の地域でも同じことだが、とくに経堂では、南のもう一つの商店、本町通商店街に「魚真」という魚の卸と小売りの店があることが大きい。経堂にある店のなかには、ここから魚を仕入れているところが少なくないが、一般の客も昼から4時のあいだなら魚を買うことができる。

我が家もその魚真の常連だが、とにかく魚がうまい上に安い。値段が分かり安いものとしては、しじみやあさりは100グラム100円代で、場合によっては100円を切ることがある。主婦(夫)ならその安さが分かるだろう。しかも、品が良い。

駅の北に1年前開業した小田急OXストアーも、スーパーとしては魚に力を入れているが、味も値段も魚真の敵ではない。魚真の値段に慣れてしまうと、とてもスーパーの刺身は買えない。

魚真の欠点は、夕方や夜には営業していないことと、いつも何があるか事前にはまったくわからないことの2点だが、ここの魚の味が経堂全体の味のレベルを規定している。

また、経堂は「生活クラブ」発祥の地であり、食の安全や自然な食品、有機食品への関心は高い。したがって、素材に気を配り、オーガニックの方向をめざした店でないと、地元住民がやってこない。季織亭も、化学調味料は使わないことはもちろん、材料には徹底してこだわっている。最近では全体に、オーガニック・ワインを置く店が増えている。

もう一つ、経堂の壁は、「常連」が多いというところにある。それは、経堂が基本的に住宅街で、夜飲食店に来るのは、ほとんどが地元の住民だというところに原因がある。なかには、入りにくい店が結構あり、地元誌でそうした店が特集されたこともある。

常連がつけば、店の経営は安定するものの、新規の客は入りにくい。居心地も良くなかったりする。また、人通りが多いところで、絶えず一定の数が客になるのとは異なり、来店時間がまちまちになりやすい。一定の時間に集中することが案外多く、それもどこか性格の似た常連が店に行きたいという気分になるのが同じ時間帯になりやすいからかもしれない。この点は、どの店の店主も、不思議だと首をかしげるところだ。

このように、経堂という街には、特有の「癖」があり、その癖を見抜けないと、店を出してもうまくはいかない。おそらく、どの店も開店のために借金をしてかなりの資金を投じていることだろうが、それを回収できず、借金だけが残るということも珍しくないだろう。

飲食店を成功させるには、やはり事前の徹底したリサーチが必要である。多くの店はそれを怠っているように見える。少なくとも、経堂に店を出すなら、まずはそれなりに長く続いた店の常連となり、経堂の街の癖を理解できるようにならなければならない。

ただ、一応の成功をおさめても、今のデフレ社会では、下手するとじり貧になりやすい。やはり「イノベーション」も必要である。

あるとき、季織亭の主人と話をしていたとき、そのイノベーションということが話題になった。季織亭は材料にこっているため、ラーメンの値段はけっこう高い。1000円前後で、安いものでも850円である。

そのため、どうしても客が限られている。そこで、もっと低価格でラーメンを提供できないかという話になった。次に訪れたとき、主人は、昼、期間を限定して580円で出すことにしたと語り、その試食もさせてくれた。これまでとはタイプが違うが、それは間違いなく季織亭のラーメンだった(これは、「竹きおり麺」として5月6日まで販売されている)。

値段を下げたことで、昼の客は倍に増え、客層も広がった。それは、夜の客にも影響し、2階の酒亭の客の数が増えたという。イノベーションの成果が思わぬ形で出たわけである。

常連客が多いということは、それぞれの店の敷居が高いということである。その敷居を下げるために、低価格は功を奏した形になった。飲食店の経営というものは、難しく、また難しいがゆえに興味深いものだとつくづく感じたしだいである。

島田 裕巳
宗教学者、文筆家
島田裕巳の「経堂日記」


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