今夜、日本中の原発がすべて止まるが、なぜ止まっているのか誰にもわからない。電気事業法では、定期検査の終わった原発が技術基準を満たしていれば、保安院は運転を許可しなければならないが、政府が法的根拠なく運転を許可しないからだ。橋下徹氏も認めるように、この手続きには瑕疵があり、憲法に定める法の支配に抵触する。
それを踏み越えて「超法規的」に再稼働を禁止するときは、関西電力が運転する理由を説明する義務はなく、政府が運転を許可しない理由を説明する義務がある。政府の説明は二転三転しているが、少なくとも次の3つのリスクが高いことを証明する必要がある。
- 若狭湾でマグニチュード9クラスの巨大地震が起こって20m級の大津波が発生する
- 津波が起こると、原発が浸水して交流電源がすべて喪失する
- 炉心溶融が起こり、放射性物質が周辺に飛散して住民に生命の危険が及ぶ
まず1のリスクについては、地震調査研究推進本部のデータでも、歴史的にはマグニチュード7程度が最大で、これは耐震設計の範囲内である。日本海には大規模な活断層はないので、東日本大震災のようなマグニチュード9クラスの地震も大津波も考えられない。
しかし1000年ぐらいの期間を想定すれば、巨大地震の可能性はゼロではないだろう。この場合、大飯原発3・4号機の配管や電源が問題だが、配管の耐震性は福島第一と同等以上であり、電源の浸水防止や電源車の配備も関電の資料によればすでに実施ずみだ。
本質的な問題は3である。拙著にも書いたように、炉心溶融で数万人の生命が失われるというのは医学的に根拠のない「危険神話」である。チェルノブイリ事故でも、周囲に拡散した放射性セシウムは最大数十mSvであり、これによる癌死亡率の増加は確認されていない(くわしくは国連の報告書を参照されたい)。
したがって福島事故による死者も考えられない。現地調査を行なった高田純氏も、福島の被曝量はチェルノブイリの数千分の一以下であり、健康被害はまったく考えられないと断定している。中川恵一氏や高妻孝光氏など圧倒的多数の科学者も同じ意見であり、これを反証するデータは存在しない。「内部被曝が危険だ」とかいう都市伝説は、河野太郎氏も指摘するように根拠がない。
要するに、東日本大震災と同じ巨大津波が若狭湾で発生して、福島第一と同じような事故が発生しても、生命の危険は考えられないのだ。ただし現在の安全基準が過剰規制になっているため、それを基準にすると農産物や魚介類に風評被害が起こるだろう。これが考えうる唯一の被害だが、線量基準を見直せば解決する。
ひるがえって、原発を止めるコストは非常に大きい。原子力の依存度が50%を超える関電管内で、原発を止めて電力が足りるはずがない。もちろん計画停電をやれば乗り切れるかもしれないが、その機会費用は昨年だけで3兆円。今年すべての原発が止まると、その2倍以上の国富が海外に流出し、電力会社の赤字は2.7兆円に達する。製造業は、日本から出て行くだろう。
どう計算しても原発停止のコストはそのメリットをはるかに上回り、燃料費の増加によって福島事故の風評被害より大きな損害がすでに発生している。橋下氏は
原発事故の死者は0でも被害が甚大ではないとは言えないはず。しかし津波被害も甚大。確かにどちらも甚大ですね。 最後は対策の不完全性に対する諦めの違いでしょうか。RT @ikedanob: 津波では2万人が死亡したが、原発事故の死者はゼロ。どっちの被害が甚大ですか。
と言っているので、効果のない対策は「諦める」ことも選択肢と考えているようだが、これは民主党政権が世論の反発を恐れていえないことだ。大阪府市のエネルギー戦略会議でも「絶対安全」を求めて空論をくり返すのではなく、リスクをどこで割り切るかについて費用対効果の冷静な検討をしてほしい。
実質成長率1%にも達しない日本経済で、無意味な原発停止でGDPの1%以上を失うことは大打撃になる。エネルギー産業はGDPの1割を占め、そのコストが上がることはすべての人々に「課税」されるのだ。
原油価格は史上最高水準になり、イランは核開発への経済制裁に対して「禁輸したらホルムズ海峡を封鎖する」と公言している。イスラエルも爆撃の準備をしており、本当に封鎖されたら原油の8割が止まり、LNGの3割が止まって価格が暴騰する。特にLNGの6割をカタールから輸入している中部電力の管内では、大停電が起こるだろう。
これは40年前の石油危機で起こったことだ。その経験に学んで、日本政府は原子力開発を進めてきた。大阪府市がこれを全面否定して「脱原発」を唱えるなら、こうした地政学的リスクを回避する戦略を示すべきだ。
原発の安全基準を見直すのは結構だが、今すぐ1000年に1度の地震が来ることはありえないのだから、まず通常通り運転し、時間をかけて基準を見直し、法的な手続きを踏んで改善していけばよい。迷走する民主党政権を批判する橋下氏は、法の支配の原則に立ち返って「決められる政治」のお手本を示してほしい。