事実誤認にもとづく「思想ごっこ」 - 『夢よりも深い覚醒へ』

池田 信夫

夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)
著者:大澤 真幸
販売元:岩波書店
(2012-03-07)
販売元:Amazon.co.jp
★☆☆☆☆


著者の以前の本については、私のブログで何度か取り上げたことがあるが、その特徴は冗漫で事実誤認が多いことだ。たとえば『<自由>の条件』ではケインズやハイエクを誤読し、その誤解をまるまる1章にわたって展開する。『ふしぎなキリスト教』に至っては、多くのキリスト教徒が怒っているように、正しい部分を探すのがむずかしい。

本書は短い分だけましだが、致命的な勘違いにもとづいて1冊の本が書かれているという点では、問題はもっと深刻である。それは彼が「偽ソフィーの選択」と呼ぶ次の寓話に明らかだ。

ソフィーの家に、ある日、強盗が入ってくる。強盗は、子どもかエアコンのどちらかを寄こせ、という。強盗は、ソフィーがどちらも拒むのであれば、子どもを殺し、エアコンをぶっ壊してしまう、と脅迫する。彼女はどうすべきか。[・・・]原発を取ることは、人の命を、共同体の命を犠牲にするリスクを選ぶことである。つまり、原発を肯定するか、否定するかは、偽ソフィーと同じように、エアコンにするか、子どもの命をとるか、という選択だ。

ここでは、原発が「共同体の命を犠牲にする」ものだとされているが、彼が引用している(が読んでいない)中川恵一氏が指摘するように、福島で癌は1人も増えない。史上最悪のチェルノブイリ事故でも、死亡したのは消防士50人と汚染されたミルクを飲んだ子供10人だけで、炭鉱事故と比べてもさほど大きな事故ではない。したがってこの間違った思い込みにもとづいた本書の議論は、すべてナンセンスである。

本書ではフロイトやらマルクスやらロールズやらを脈絡なく引用して「3・11後の哲学」が語られるが、無内容で牽強付会だ。いまだに一部の人文系の研究者がこういう「思想ごっこ」をやっているようだが、先日の『低線量被曝のモラル』のように科学的事実を踏まえない思想なんて意味がない。そろそろ文学的レトリックではなく、科学データにもとづいて議論してはどうだろうか。