会計士問題「期待ギャップ」をどう埋めるのか? --- 山口 利昭

アゴラ編集部

監査基準の見直しを検討する企業会計審議会監査部会が昨日(5月30日)から始まりました。監査人は不正会計を見逃しているのではないか?監査人が社会の期待に応え得る監査とは何か?を議論する場として、私個人としてはとても期待をしております。昨日の審議の内容を報じているこちらのITフォーラムさんの記事がとても参考になります。また本日(5月31日)、金融庁HPに会計不正等に対応した監査基準の検討について(案)も公表されています。


上記の記事によりますと、昨日は社会が公認会計士・監査法人による会計監査に期待しているところと、実際の会計監査の仕事とのギャップ(いわゆる期待ギャップ)をどう解消していくべきか、ということが議論されたようです。上記の記事では、かなり監査法人さんに厳しいご意見が出ており、とくに会計監査の実務経験のある経済界の方の意見も特筆すべきところかと。

ただ、一方で、オリンパス事件や大王製紙事件における監査人の責任問題を検討した当ブログ4月26日付けエントリー「全国監査法人アンケートの結果を法律的に考えてみる」で寄せられた現場の会計士の方々のコメントを参照いただくとおわかりのとおり、近時の監査現場の意識と(少し前までの)現場感覚とはズレがあるようです。リスク・アプローチ手法やローテーション制度の導入、グループ監査や品質管理など、「期待ギャップ」を論じるには、監査現場の実務を踏まえたうえでの議論が必要です。

とくに印象的なのが、職業的懐疑心をもって臨め、と言われても、ほとんどの上場会社が誠実に決算書を作成しているわけですから、ほとんどの会計士はシロを前提に監査を行う、という点です。クロを疑いながら監査を行うのと、シロが当たり前と思って監査を行うのでは、監査の深度も変わってくるでしょうし、監査報酬にも影響が出てくるところかと思います。弁護士のようにクロの仮説を立てて、小さな証拠でも仮説を裏付けるものとして積み上げていく立証方法と、会計士のように、シロの仮説が否定されるべきものが存在しないことを検証によって積み上げる消去法的な心証形成方法とでは大きな違いがあります。弁護士は「クロ」を探り、会計士は「疑惑」を探ることになります。この職業的懐疑心の捉え方も、会計士の期待ギャップ問題と大いに関係があるように感じています。

先日、迷える会計士さんが「期待ギャップ」について以下のように解説されていました。

監査人が職業的懐疑心をもって監査を実施していれば、不正に気付く場合もあり、そうでなければ「期待ギャップ」は拡大してしまうでしょう。「期待ギャップ」は、実際の社会の期待と実際の監査実務との間のギャップですが、実際の社会の期待と正当な社会の期待との間のギャップ(過剰な期待)と正当な社会の期待と実際の監査実務との間のギャップ(不十分な監査)の二つの領域からなっています。監査人は全ての不正を発見すべきであるというのは、明らかに過剰な期待ですが、正当な社会の期待に応えることは、監査人の責務であると考えられます。

私もまったく同感です。そもそも「期待ギャップ」については会計士の法的責任論との関係で論じられるようになったことは認めるところですが、この期待ギャップについては、監査法人側からも解消に関する努力が必要です。解消の方向性としては、社会に働きかけて正当な社会の期待(過剰な期待→合理的な期待)を理解してもらうこと、そして会計士自身も、社会からの合理的な期待に応えるように監査業務に従事することの2点です。

そういった意味からすると、3月下旬に有限責任新日本監査法人からリリースされた「オリンパス監査検証委員会報告書」は、その賛否はいろいろと出ておりますが、画期的な一つの試みだったのではないかと考えております。守秘義務によるものなのか、監査法人の性格からなのかはわかりませんが、こういった不正会計事件が発覚した場合、当該企業の監査法人は沈黙を守る、という姿勢に終始していました。しかし、司法の場に出る前に、監査法人が自分たちの姿勢を世に開示する、という意味では期待ギャップ解消に向けた情報発信として注目すべきことと思います。企業コンプライアンスに関心のある者としては、裁判で負けることだけがリーガルリスクではなく、昨今は社会的評価が毀損されてしまう企業行動にこそリーガルリスクがあると考えます。同じように、監査法人も、もはや「沈黙は金」ではなく、自身の自律的行動に関する情報開示を積極的に行い、期待ギャップを埋める努力をすべき時期に来ているのではないかと思います。

ただ、上記報告書については、第三者委員会に近い形の独立委員会だったので、新日本監査法人さんの法的責任の有無のみに焦点が当たっていたのが少し物足りないところです。私は期待ギャップを埋めるのに会計士の職業倫理を議論する必要があると思います。上記報告書には、ほとんど「会計士の職業倫理」について触れているところはなかったと思います。会計監査人の引き継ぎ問題について、監査基準に定められた細則を守っていれば法的責任は発生しないかもしれません。でも、それで会計士の行為規範としては十分なのでしょうか?細則の背後にある原則の趣旨を理解する必要はないのでしょうか?理解できるのであれば、それを実践する必要はないのでしょうか?そして構造的な利益相反関係にある被監査企業の利益(守秘義務)と投資家の利益との調整について、会計監査人はどのように考えるのでしょうか?

私は、最近出版された「会計倫理の基礎と実践」というアメリカの会計学者の方々が出版された書籍(藤沼亜紀監訳 同文館出版)を読み、とても感銘を受けました。「倫理」と聞くと、私などはすぐに顔をそむけたくなります。私の弁護士としての経歴を知る方からすれば「おまえに倫理のことなど言われたくない」と揶揄されることは承知しています。「どうせまた精神論や哲学的なお話。大切なことはわかるが、実務とは無関係」。そう思って初めは書棚に飾っておくつもりだったのですが、例題を読み進めているうちに、「これは最後まで読まなあかん」と。実務に密着した話ばかりであり、明らかに弁護士倫理と会計倫理とは発想が異なるのです。会計倫理というのは、日常の会計監査実務と密接にかかわっている利益相反状態をどう解決するか、監査チーム内での意見相違をどうまとめあげるか、(言葉は悪いですが)手を抜かざるをえないときに、どの方法が一番許される「手の抜き方」か、など、さすが訴訟大国、会計士の責任が認められた判例を参考にしながら学ぶ、というものです。会計倫理が会計士の優秀さとも関連性が深いことも理解できるところです。

この本を読むと、会計士の行為規範を考えるにあたり、法や会計基準、監査基準、日本公認会計士協会ガイドラインなど、いろいろと参考になるものもありますが、やはり細則の背景にある原則を理解するための会計倫理、そして理解したことを勇気をもって実践するための会計倫理というものがとても重要であることがわかります。そして、この会計倫理をどう理解するかによって、会計士は「企業会計の番人」にとどまるべきなのか、それともゲートキーパー(市場の番人)たる地位に就くべきなのか、その考え方にも差が出てくるように思います。

昨日の監査部会でも話題になった金商法193条の3問題。会計士さんも自主的に期待ギャップを埋める努力をして、さらに自主的に「市場の番人」たる役割を果たさなければ、結局は事前規制の世界(厳しい監督の世界)に戻ってしまうことになると予測します。期待ギャップを埋める努力を監査法人が自らしなければ、結局(行政当局の性質上)監査法人にも事前規制的手法で臨まざるをえないことになると考えます。ということは、193条の3以上に厳格な監査法人規制が「監査基準見直し」の名のもとに敢行される、ということです。結局は、いま企業がコンプライアンス経営を推進しているのと全く同じ努力を監査法人も遂行しなければ、職業自由人たる会計士さんの「かっこいい」姿は失われてしまうような気がいたします。


編集部より:この記事は「ビジネス法務の部屋 since 2005」2012年5月31日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった山口利昭氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方はビジネス法務の部屋 since 2005をご覧ください。