(あまりご興味のある方はおられないかもしれませんが、この記事は4月23日付の「情報通信のグランドデザインの作り方」の続編としてお読み頂ければ有難く存じます。情報通信システムというものの本質を一層深くご理解頂くのに役立つ可能性がありますし、今後発展途上国に進出する企業も益々多くなると思われるので、何かの参考になる事があるかもしれません)
何時も申し上げるように、インターネットが市民権を持つに至るまでの長い年月の間、「通信」とは基本的に「電話」を意味し、多くの国で、電話事業は、国営、又はそれに近い企業体による運営だった。そして、各国とも「全国津々浦々まで銅線をくまなく張り巡らせて、電話サービスを行き渡らせる」事を最大の目標として頑張っていた。
しかし、発展途上国では、地方に行けば現金収入は殆どなく、電話線を張り巡らすのに要する膨大なコストはとても賄えない。数百人の人口を擁する村落に電話線を敷いても、電話機の設置は取り敢えずは数台だ。しかも、何か特別な事があった時にしか、高額の電話代を払ってまでこれを使う人はいない。こういう状況では、投資の回収に長い時間を要するので、国営企業といえども二の足を踏むのは当然だ。従って、発展途上国での通信システムの構築は、かつてはODAなどの経済協力の対象にもなっていたのだ。
ところが、発展途上国といえども、都市部では、商業を中心とするビジネスや政府関係の仕事がどんどん通信需要を生み出す為、通信事業は大きな収益をもたらす事業となった。この為、先進諸国は、通信機器の延払輸出に熱心に取り組むだけでは飽き足らず、通信事業そのものに対する門戸開放も求めた。所謂BOT(Build, Operate Transfer)、即ち「取り敢えずは外国企業が事業者として全てを行い、一定期間終了後に現地企業に引き渡す」というようなやり方も編み出された。
しかし、このとばっちりで、地方の事は忘れ去られ、経済協力の対象からも外されてしまった。普通なら、ここで、発展途上国の地方住民にとっては、絶望的な状況がもたらされかねなかったわけだが、これを救ったのが携帯電話だった。
先進諸国で急成長を遂げたおかげで、携帯電話のインフラ施設や端末機のコストは飛躍的に下がった。無線通信の場合は、一つの基地局を作れば広域をくまなくカバー出来、その地域の隅々まで銅線を張り巡らす必要はない。加入者が少なければ最小経済規模でシステムを作り、加入者が多くなるに従って設備容量を増強していけばよい。
これは日本でも同じだが、ハイテク機器の価格はどんどん安くなるが、敷設工事のコストは殆ど下がらない。その上、土地の利用権や工事の監督権を巡っての調整作業は複雑で、どの国でも膨大な時間とコストがかかる(最悪時は、調整が出来ず、にっちもさっちも行かなくなる事もある)。事故などによる「断線」に対応する保守作業も大変だ。だから、大規模な工事のない携帯電話システムは、コスト的にも、サービスを開始するまでに要する時間から言っても、相当に有利だった。
それだけではない。ユーザーの利便性からみても、「何時でもどこでも使える携帯電話」と「使える場所が限られる固定電話」では比較にならなかった。毎日の生活でもそうだが、非常時になると特にその差は大きくなる。インド等では、毎年モンスーンの時期になると「モンスーン・ハンガマ」という現象が起こり、なけなしの紙幣を握った民衆が携帯電話機店に殺到する。洪水で分断された地域では携帯電話が文字通り生命線になるからだ。
現在、発展途上国の多くでは、一般大衆向けの携帯電話機は大体4千円程度で、中古機なら千円程度でも買える。日本とは異なり、小銭で何回かの電話が出来るプリペイドカードを買って何週間かを過ごし、これを使い果たすとまた新しいカードを買うというのが一般的だ。また、殆どの国では、多くのユーザーが、同じプリペイドカードを使って、電話より安くつくSMSと呼ばれる簡易メールで電話の代替をするが、実は、これが通信事業者の大きな収益源になっている(日本では、これまでは、このSMSに該当するサービスは原則無料だった)。
この流れは止まるところを知らず、2011年末での世界の携帯通信サービス加入者の総計は遂に60億人を超えるまでになった。地球の全人口が約70億人だから、これはすさまじい数といえる。
しかし、それでは、もうこれで市場は飽和してしまったのかと言えば、全くそんな事はない。「インターネットサービスがやがては電話に優るとも劣らないキラーアプリケーションになるだろう」という事は、先進地域であろうと発展途上地域であろうと、基本的に同じだと思われるからだ。
それでは、ここで、「発展途上国における情報通信のグランドデザインは如何あるべきか」という問(今週のテーマ)に対する私の答えを、以下の通り箇条書きにしてみたい。
1)携帯電話網はGSMを中心とした現在のネットワークで十分なので、当分はこれを温存する事で足りる。この償却期間が過ぎれば、一気にVoIPに移行するべきだ。
2)携帯無線網を使ったデータ通信は、状況に応じ、3Gを飛ばしてでも、一気に4G(LTE)に移行すべきだ。理由は簡単で、ビット当りの単価が4Gの方が3Gよりはるかに安くなるからだ。また、周波数はどんな地域でも早かれ遅かれすぐに足らなくなるから、早い時点からこの事を考えておいた方がよい。
3)有線網は、これから銅線を敷設する事などは一切考えず、経済合理性が認められれば、始めから光ケーブルを敷設するべきだ。但し、これは都市部の事であり、地方部はコスト的にとてもペイしないだろうから、当面は無線の4Gに全てを委ねるべきだ。
4)しかし、地方部でも、インターネットの利用者が多くなり、映像サービスなどに対するユーザーの欲求が高まれば、最早4Gでもどうにもならなくなるから、この時点で、必要なところから徐々に光ケーブルを敷設していけばよい。
(一昨年の日本の「光の道」の議論では、「全ての世帯に現時点でほぼ完全に行き渡っている銅線の電話線を、一気に光ケーブルに敷きかえれば、保守の二重化が解消出来、税金の投入なしに『光の道』が完成出来る」というのが最大の論点だったわけだが、発展途上国の場合は、全てを一から始めるわけだから、全く別次元の話となり、光ケーブルの敷設には、相当のコストを覚悟せねばならない)
5)携帯インターネットへの期待の高まりと共に、端末についても、相当速いペースでスマートフォン化が進むだろう。スマートフォンの単価は7-8千円程度のものが主力となる筈だ。更に、これにキーボードと9インチ程度のダム・スクリーンを接続する事により、PC同様の遣い方も出来るような工夫がなされるだろう。
6)無線基地局を結ぶバックボーン回線についても、当面はエントランス無線や衛星が主力となり、トラフィックが増大するに従って、これが徐々に光ケーブルに置き換えられていく事になるだろう。蓄電池のコストダウン如何にもよるが、基地局の電源にはやがては太陽光パネルが多用される事になろう。
7)放送サービスは衛星による多チャンネル化が主力となるだろう。深夜の空チャンネルは、携帯端末のメモリーに映像コンテンツ等をダウンロードする為にも使われるべきだ(そういう工夫をしないと、大容量を誇る4Dネットワークの能力も、すぐに使い果たされてしまう恐れがある)。
8)アプリケーションでは、教育関係と医療関係が、国家戦略とも連動して特に重要になるだろう。発展途上国では「教育」は、国の将来の為の最も重要な投資となるし、「医療」は最も重要な福祉政策だ。
9)流通や銀行業の合理化も大きな眼目だ。将来の全ての携帯端末にはNFC(国際規格のお財布機能)が搭載されるだろうし、NFCならPier-to-Pierのアプリケーションも可能だから、将来は、携帯端末が文字通りお財布の機能を果たし、お札やコインに取って代わる事になるだろう。
例えば、将来は、都市で働く若者が田舎の老母の携帯端末宛に何がしかの仕送りをする事が可能になるだろうし、この老母は、路傍の商人への支払いを、お互いの携帯端末をかざしあう事によって、現金なしに済ます事が出来るようになるだろう。路傍の商人は、経理の仕分けが分からなくても、きちんと出納と利益の管理をし、税金も払う事が出来るようになるだろう。この様な事が一般的になれば、草の根レベルでの決済の電子化が一気に進み、先進諸国よりも更に先進的なシステムが、発展途上国で一気に実現する可能性もある。
さて、ここで、発展途上国の政府に対して一つ注文を付けておきたい。
これまでは、携帯電話が使う無線の周波数に対して、各国の通信事業者は、入札などを通じて極めて高い値段を払ってきていた。しかし、これからは、もうそんな事は出来ない。携帯インターネットサービスは、これまでとは比較にならぬ程多くの周波数を使うので、周波数にこれまでの様に高い金を支払っていたら、通信料はべらぼうに高くなり、誰にも相手にされなくなってしまうからだ。
発展途上国では、各国の政府は、周波数を入札にした時の収入を「歳入の貴重な一部」としてずっと当てにしてきたが、この様なやり方を続けていると、その国では「携帯インターネットサービスが一向に立ち上がらない」という事態を招いてしまう事になるだろう。
政府の爪の長さでは、インドやバングラディッシュが最も悪名が高いが、短期的な利益を求めるあまりに通信事業者を疲弊させると、そのうちに誰も投資をしなくなってしまい、「他国に比べて情報通信サービスが極端に見劣りする」という事態を招いてしまう。そうなると、国内の各産業の生産性も低くなり、外国からの投資も減少してしまう。結局、「目先の事に爪を長くした為に、長期的には大きな国家的損失を招いてしまった」という事にもなりかねないのだ。