日本は何故国際標準の主導権を取れないのか?

松本 徹三

「電気自動車(EV)の充電規格をめぐり、政府と業界は日本の規格(チャデモ)について官民挙げて国際標準化に乗り出すことを確認、昨年10月に欧米メーカー7社が表明した規格(コンボ)との世界標準を争うことになる。日本勢はすでにEVを商品化した優位性で立ち向かうが、もともと国際規格の標準化では欧米勢の発言力が強いだけに、日本方式が国際的に孤立するガラパゴス化への懸念もくすぶり始めている」と、フジサンケイビジネスアイは報じている。

これまで何度も聞いたような話だ。HDTV(ハイビジョン)の時もそうだったし、携帯電話関連では殆ど恒常的にそうなっている。勿論、目に見えぬところで、日本人や日本企業が提案した規格がきちんと国際標準になっているケースも枚挙に尽きないが、全般的に視ると、どうも「日本は国際気標準化活動に弱い」というのは事実の様に思える。


私は、伊藤忠時代には衛星放送がらみでハイビジョンが苦戦する状況をつぶさに見てきたし、クアルコム(米)時代には第三世代を巡る国際標準化戦争の最前線に身を置いてきた。そういう私の目から見れば、この問題については、日本人全体の中に、どうもある種の「勘違い」があるように思えてならない。その「勘違い」故に、早い段階で必要な手が打たれず、気がついてみると、ガラパゴスと揶揄されるような状況に陥っているケースが多いようだ。

「日本には欧米に優る技術力があり、そういう技術を早い時点で国内市場が受け入れるケースも多い。にもかかわらず、後から目覚めた欧米諸国は、先行している日本メーカーに市場を奪われる事を恐れ、政治力を使って日本の技術を標準化から排除し、日本を孤立させる戦略をとっている。だから、これに対抗する為には、日本も官民一体で政治的に動く必要がある。」大略こういう事が、私が「勘違いしているのでは」と疑っている人達の頭の中にあるのではなかろうか? 冒頭に引用した記事も、まさしくこの事を反映しているように思える。

しかし、私の見るところでは、この考えはかなり間違っているように思う。そう考える理由については後述するとして、先ずはEV関連での現実的な提言をする事から始めたい。

そもそも、ここで日本政府が後ろ盾になり、「官民一体」で「チャデモ」を推せば、欧米メーカーは「恐れ入りました」と言って「コンボ」を取り下げるのだろうか? そんな可能性は万に一つもない事は誰でも分かっているだろう。「コンボ」が現れた時点で、事態は最早手遅れになっていたのだ。

誠に残念な事ではあるが、当分間は世界で二つの規格が並存する形になる(場合により中国も独自規格を推進する可能性が高い)のは、現実問題としては防ぎ得ないだろう。日産のカルロス・ゴーン社長なども、そういう見通しを持っている筈だ。従って、日本政府と日本メーカーが今やるべきは、もっと現実的で地道な努力であるべきだ。

チャデモ陣営が先ずやるべき事は、コンボ陣営の技術陣と話し合い、「両陣営はヘゲモニーを求めて争うのではなく、全世界のユーザーの利便の為に協調すべき」事について合意することだ。そして、その上で、「電圧やプラグの形状を統一するのは当面は難しいとしても、充電器と車体をつなぐ通信プロコール等は出来る限り共通化し、僅かなソフトの追加で両方の規格が同時にサポートされるようにする」事などについて、具体的に協議を進めるべきだ。

一方、日本政府がやるべき事は、インド、ブラジル、ASEAN諸国等を含む発展途上国政府と話し合い、EVの重要性についての認識を高めてもらう一方、各国内に充電器を展開する時には、日本政府も応分の協力をする用意がある事を仄めかし、暗にチャデモ規格に対する支持を要請する事だ(また、その一方で、中国とも「規格の共通化」についての話し合いを、忍耐強く継続すべきは当然だ)。

さて、ここで、過去に起こった事の反省を踏まえつつ、もう一度「何故日本が標準化活動において常に劣勢になる事が多かったか」を考えて見よう。

ハイビジョンについては、日本製のテレビに市場を席巻される事を恐れた欧州が、EUREKA計画と銘打って正面から日本の前に立ちふさがり、これに米国も巻き込んだのは事実だ。しかし、米国の三大ネットの中には、当初はハイビジョンに対して相当友好的な人達もいたのだから、こういう人達ともよく相談しながら、大胆且つ柔軟に発想して、米国を味方に出来なかったのは悔まれて然るべきだ。

私がもしその当時の担当者だったら、米国の友人達に対してこう言っただろう。「ハイビジョンは将来の『完全デジタル化』への一里塚(中間技術)に過ぎない。将来の『完全デジタル化』は、これをベースとして日米共同で開発を進めよう。」

勿論、こんな発言は、NHKの技術者などが相当に拘っていた「Interleve方式」を、最終目標としては完全に否定する事を意味するのだから、内部では非常な物議を呼んだだろう。しかし、もしこういうアプローチで先手を打てば、マイクロソフト等は大いに興味を持ってくれただろうし、もしマイクロソフトを味方にする事が出来ていたら、米国政府もその時点で味方になってくれていた可能性は高い。

世界に先駆けて香港の交通機関で実績を作ったFelicaが、その後日本国内でも「お財布ケータイ」へと発展し、多くの利用者を獲得したにもかかわらず、結局、最後まで国際標準であるNFCの一部(type-C)としては認められなかったのは、当初のSonyの戦略ミス故だ。

Sonyは「この技術を使ってどのような収益モデルを作り出すか」について迷走し、結局は中身をブラックボックスにしてハードを売って儲ける事を考えたのだが、これでは国際標準として認められるわけはない。だから、当初は味方につけたと思っていたMotorolaも、すぐに離反してしまった。

第二世代の携帯通信技術については、戦略以前の問題で、開発者のドコモには、自らが開発したPDCという方式を、国際規格にする積りは始めからなかったと考えるべきだろう。

欧州諸国が全力を挙げて開発したGSMは、既に出来上がっていたし、アジア、アフリカ、中南米諸国もその流れの中に既に巻き込まれていた。だから、冷静に考えれば、PDCが世界市場でGSMに勝てる見込みは万に一つもなかったわけだが、ドコモは、PDCのGSMに対するほんの僅かな技術的優位性の事だけを、最後まで語り続けているだけだった(結果として、PDCは日本以外のどの国でも、一台の実績も作ることは出来なかった)。

この事が、日本の携帯電話機メーカーが世界市場で決定的な遅れを取る遠因の一つとなった事は否めない。しかし、この事でドコモを非難する事は適切ではないと、少なくとも私は思っている。

ドコモとしては、社内に多くの有能な技術者を抱えていることが、競合他社に対する差別化の為の大きな武器なのだから、これをフルに利用しない手はない。PDCが日本の統一標準になると、ドコモはファミリー企業4社に次々に先進機種を作らせ、他のメーカーには6ヵ月後にしか技術を開示しなかったから、市場では常にドコモの機種だけが先進性を持つ事になり、これがドコモの躍進を支えた。ドコモとしては、企業戦略としてごく当然の事をやっただけだったわけだ。

本来なら、この様な事態を回避出来たのは、当時の郵政省しかなかった。もし仮に、当時の郵政省がこういった事を先読みして、「世界統一標準の理想に逆行する」「競合他社に対する不公正競争となる」等々の理由を並べ立てて、ドコモにPDCを捨てさせ、世界の大勢となりつつあったGSMを日本でも採用する事にしていたら、日本メーカーの世界市場における立場は相当強くなっていただろう。

しかし、現実には、「NTTの技術力で世界を制覇する」という夢を追い続けていた当時の郵政省が、そんな事を考える可能性は万に一つもなかっただろう。

(第三世代の標準化においては、過去から学んだドコモは、北欧メーカーを中心として海外での仲間作りに励み、自社で開発した独自仕様を押し付けるような事も差し控えた。結果として、ドコモの推していたWCDMA方式は目出度く世界標準になった。しかし、時既に遅く、日本メーカーは世界市場では韓国メーカーに既に大きな差をつけられてしまっていた。)

過去の話をしたついでに、最近の小さなエピソードも一つ披露しておきたい。携帯端末の電源プラグの話である。

長い間、世界の各メーカーはそれぞれに独自のプラグを採用し、携帯端末本体と充電器は常にペアで売られていた。しかし、「これは資源の大きな無駄遣いだ」という声が欧州の通信事業者を中心に高まり、世界の通信事業者の業界団体であるGSMAは統一規格を提唱して、各メーカーに対応を求めた。韓国メーカー(サムスンとLG)が最も早く対応し、当初は難色を示していたNokia とAppleも最終的には対応したが、日本の規格だけは未だに異なっており、小さなガラパゴス状態になっている。

ここでも、実は、日本の方が問題意識を持つのはむしろ早かったのだ。ドコモの呼びかけに全事業者が賛同し、日本では早々と統一規格がつくられていたのだが、この過程で「GSMA等の国際団体を説得して、世界中で同じ規格を使うようにしよう」という発想を持った人は誰もいなかったようだ。要するに「外国人と英語で話すのは面倒くさいし、そんなことで時間を費やすのは嫌だ」という担当者の気持が根底にあったと思われるのだが、突き詰めていくと、それこそが、日本が抱えている最大の問題なのではないかと思う。

日本人は何故か被害妄想が多い。自分から積極的に外国人の輪の中に入っていけばよいのに、それをやらず(或いはその能力に欠け)、結果として自分達の思いが反映されないと、「東洋人故に西洋人達から阻害された」と思い込んでしまうのだ。挙句の果てが、「政府が支援してくれなかったからだ」として、意味のないタイミングで、明快な戦略もないままに、政府の介入を求める。

実は「各企業の利害の問題」でしかないのに、それをあたかも「国家間の政略問題」であるかのように錯覚し、話を大袈裟にして、却って相手を警戒させてしまうというケースも多々あるようだ。また、一方では、日本企業だけが先ず集まって「オールジャパン体制」を作り、これで海外勢力と対決しようとするケースも時折あるようだが、これも、私に言わせれば下策でしかない。このような体制作りには多くの時間が必要となるし、そうこうしているうちに、相手を無用に警戒させてしまう事もあるからだ。

本当は、オールジャパン等という事を考えるよりは、有力な海外企業を早い段階から巻き込んだ方がよい。これと見定めた相手には、こちらから積極的に接触して、本音ベースで語り合える雰囲気を作り、「あなたが競合他社の鼻を明かすのを手伝ってあげる」と持ちかけた方が、はるかに効果的だと私は思う。

そして、そのような場合には、当然、細心の注意を払う必要がある。話を持ちかけた相手の立場をよく考え、相手が相当のメリットを感じられるような条件を出す事が必要だし、その為には、自社の利益を若干犠牲にする事も覚悟するべきだ。そして、如何なる場合でも、相手の気持(誇り)をよく斟酌して、間違っても「教えてやる」といった態度では臨まないことだ。

重要な事は、どんな場合でも、始めから常に世界市場を意識して、自らを世界のコミュニティーの一員と位置づけておく事だ。必要に応じてどこにでも出向き、誰とでも会い、「我々の考え通りにやれば、必ず世界のユーザーの為になるのだから、当然あなた方の為にもなるはずだ」と、情熱をこめて語るべきだ。「理念」と「情熱」と「計算」が全てのビジネスの基本であり、それらの事は、全て世界共通なのだ。