「人見知りが激しいので就職してから普通に働けるか心配だ」という話を学生からよく聞きます。言い換えれば、「人見知りにも関わらず、能力に見合ったパフォーマンスを発揮できるだろうか」という不安です。
ところが、驚いたことに、そのような不安を抱きつつも、会社の選び方は「○○の分野が好きだから」、「○○業界、○○企業は成長しているから/やりがいがありそう」といったもので、人見知りという性格を考慮した形跡が全く見られないことが多いです。それどころか、意図的に「人見知り」という性格に目をつぶり、「コミュニケーション能力抜群」な人材を無理に装う人も多いようです。就職活動の期間は限られているので、そういった演技で「憧れの企業」の内定を獲得することも可能でしょう。
しかし、就職してからも演技を続けるのは無理です。職場にいる時間は長いのです。そう遅くないうちに、精神的に参ってしまうでしょう。6月11日発売の週刊東洋経済の特集は「人ごとではない うつ・不眠」でしたが、職場で精神的に追い込まれる若手が増えている大きな理由の一つとして、自分の性格・特性を考慮した職場選びをしていないことも挙げられるのではないでしょうか。
本稿では、人見知りと職場環境について考えてみます。具体的には、前編(1/2)で「人見知りのメカニズム」と「人見知りの強み」について考察し、後編(2/2)で「人見知りの強みを生かせる環境」について事例をいくつか紹介します。
1.人見知りのメカニズム
大人の人見知り(注1)は、「他者から高く評価されたい、良い人だと思われたい」という気持ちが先行し、「相手に不快感を与えていないだろうか」といった心配を過度にする結果、萎縮もしくは一歩引いてしまう現象です。要するに、「人から良く思われたい」という過剰な意識が人見知りの根本原因です(注2)。
しかし、人見知りは、全ての他者を対象に引き起こされるわけではありません。コミュニケーションの対象者を下記のように大まかに分類してみましょう(注2)。
「ウチ」:夫婦、親子、兄弟、非常に親しい友人
「ソト」:学校や職場、近隣の人々といった「ウチ」と「ヨソ」の中間的な人
「ヨソ」:全く無関係な他人
最も人見知りを起こしやすい対象は、中間の「ソト」(及び今後「ヨソ」から「ソト」になる人)に対してです。なぜなら、「ソト」との接触は、相手の中で自分の評価・印象が定まっていくプロセスだからです。「ウチ」に対しては、既に自分の性格・実力を知られているため、人見知りにはなりません。また、「ヨソ」に対しては、今後、自分との継続的な交際がないため、人見知りをする必要がありません。
まとめると、
「対ウチ」:素性がばれているから、人見知りをする必要なし
「対ソト」:自分をよく見せていかなければならないため、最も人見知りになる
「対ヨソ」:今後継続的に関係をもたないので、人見知りをする必要なし
ということになります。
なお、厄介なことに「ウチ」、「ソト」、「ヨソ」の分類は固定的ではありません。親密な友人になり「ウチ」に分類されたとしても、一定期間、接触を断ってしまうと再び「ソト」に戻ってしまいます。かつて綿密にコミュニケーションをとっていた友人・知人に再会したところ、妙によそよそしい対応をされた覚えが誰でもあると思います。これは(あなたが嫌われているという可能性を除けば)、相手が重度の人見知りである可能性が高いです。再び「ウチ」側と認識されれば、対応は元に戻るはずです。
2.人見知りは強みでもある
人見知りは欠点なのでしょうか。Googleで「人見知り」を検索すると、「直す」や「克服」とのAND検索が多いです。したがって、世間一般的には矯正しなければならない性格だと考えられているようです。
しかし、人見知りから生まれる独自の強みもあります。
人見知りをする人は、仲間内(「ウチ」)や全くの他人(「ヨソ」)とのコミュニケーションでは非常に高いパフォーマンスを見せることがあります。なぜなら、「対ソト」のコミュニケーションで、静かに場を観察するため、客観的な分析能力やユニークな視点が備わることが多いからです。後編(2/2)で事例を記述しますが、クリエイティブな職業の人に人見知りが多いのはこのためでしょう(ちなみに、タモリ氏は「人見知りしない奴に面白い奴はいない」(注3)というのが持論だそうです。また、対談で自らも人見知りだと公言しています)。
また、人見知りの人は「人から良く思われたい」という欲求が強いため、見えない部分での地道な努力や色々な準備を周到に行うという強みもあります。
したがって、無理に人見知りを矯正しようとする(もしくはコミュニケーション能力の高さを偽装する)のではなく、上記のような人見知り特有の強みを上手に活用する方法や能力を発揮しやすい環境を探すことに集中した方が良いのではないでしょうか。そこで、後編(2/2)では、「人見知りの強みを生かせる環境」について具体的に考えてみます。
(注1)
本来、人見知りとは、「幼い子供が見知らぬ人に対して警戒心を抱く行為(泣くなど)」を意味します。
(注2)
中山治「『ぼかし』の心理-人見知り親和型文化と日本人」創元社を参照。
(注3)
「人見知りしない奴に面白い奴はいない」の裏である「人見知りする奴は必ず面白い」は真とは限りませんが、経験上、人見知りをしない人よりは面白い人が多い傾向にあるような気がします。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
高橋 正人(@mstakah)