人文科学でも、自分の考えを曲げても党派に奉仕するか、原則論を貫くかという知識人の党派性は、左翼の重要なテーマだった。「党が個人に優先する」というレーニン主義では前者が政治的に正しいとされ、ショスタコーヴィチもエイゼンシュテインもルカーチも、党の「批判」に従って「政治的に正しい」作品を書いたが、その結果は無残なものだった。
現代にも、ルイセンコはいるらしい。高橋洋一氏は、国会の公述人として「財政再建の必要性が乏しい」と主張し、おまけに「日本国債のCDSスプレッドは1%だから財政破綻はない」という「背理法」を語って、投資家のブログで「それじゃ2009年にCDSが1%だったギリシャも破綻しないんですね」と嘲笑されている。
ところが高橋氏は、財務省の職員(兼RIETI)だった2004年にはこう述べている。
フロー面では、財政の約半分を借金で賄うというのは正常じゃない。さらにストック面でも、日本の国債残高の対GDP比は諸外国に例を見ないほど高いという状況です。日本の歴史においても、第二次世界大戦直後を除き、平時ではもっとも高いレベルになっています。これは、どう考えても普通ではありません。
この時期の彼の意見はごく常識的だったが、不祥事で大学をクビになり、政策コンサルタントとしてみんなの党の下請けになってから、党の方針を正当化する牽強付会な議論が目立つようになった。彼が「みんなの党が政権をとれば日本はよくなるのだから嘘も方便だ」と思っているとすれば、ルイセンコの教訓を思い出してほしい。たとえ目的が(主観的に)正しくても、大衆をだますことによってまともな政権が生まれた試しはない。