小沢一郎氏の「西南戦争」

池田 信夫

今では知らない人も多いようだが、小沢一郎氏は1993年の著書『日本改造計画』の序文に、グランドキャニオンを訪れたときの印象をこう書いていた:

国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。もし日本の観光地がこのような状態で、事故が起きたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、その観光地の管理責任者は、新聞やテレビで轟々たる非難を浴びるだろう。[・・・]大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している。これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。


政府や企業に頼らないで「自己責任」で生きるという彼の政治哲学は、自民党政権の崩壊後の日本のビジョンとして鮮烈な印象を与えた。実際には小沢氏の書いたのは序文だけで、内容は当時の大蔵省の課長が編集長となり、竹中平蔵氏や伊藤元重氏などが書いていた。だからそこに書かれた経済政策は経済学者のコンセンサスに近く、所得税を下げて消費税を10%に引き上げると書いてあったのだ。

私が2年前に彼にインタビューしたとき、「グランドキャニオンの考えは今でも同じですか?」ときいたら、彼は即座に「まったく変わっていない」と答えたが、話の中身は(かつて彼が否定した)バラマキ福祉だった。きのうの「造反」も、50人ぐらいのグループを引き連れて離党したところで何の展望もない。

しかし小沢氏が20年前に提起した問題は、いまだに重要だ。それは福沢諭吉以来の、日本人の独立自尊という問題である。福沢は個の自立は不可避だと考えたが、日本はその後、「江戸時代的」なシステムを役所や企業という組織に組み替え、巧みに温存してきた。それが戦後の高度成長の一つの原因でもあったが、さすがにその賞味期限も切れた。それを示すのが1000兆円にのぼる政府債務である。増税を「マニフェストと矛盾している」などと批判する小沢氏は、自分の20年前の宣言との矛盾をどう説明するのか。

私がインタビューしたとき、もう一つ印象に残ったのは「オヤジ(田中角栄)も金丸さんも『足して二で割る』名人だったが、今はそれではやっていけない」という言葉だ。「昔は利益の分配をするのが政治の役割だったが、今は負担の分配をしなければならない。平等に引き算したら全員が文句を言って収拾がつかなくなるので優先順位をつけて切るしかない」という答を聞いて、この人は田中型政治の本質的な欠陥を理解しているんだなと私は感じた。

かつては政策に関して原理主義的だった小沢氏が今のようになってしまったのは、おそらく自社さ政権などの無原則な自民党政治に裏をかかれて「何よりも政権を取ることが先だ」という教訓を学んだからだろう。政治は権力闘争なのだから、それはそれで一つの考え方だが、政局のために政治哲学まで放棄し、政権も取れないのでは何も残らない。

小沢氏は自分の政治生命が終わったことを悟って、子分と一緒に「死に花」を咲かせようとしているのではないか、と私がツイッターで書いたら「西郷隆盛を連想する」というコメントが3つも来た。彼が西郷のように歴史に名を残したいのなら、いっそ20年前の原点に戻って、徹底的な財政再建の鬼として霞ヶ関を敵に回して「西南戦争」を挑んだほうがいいのではないか。西郷のように散るとしても。