唯我独尊に陥るのが政治の限界

アゴラ編集部

どうも勘違いするのが政治家の修正できない習性のようです。どうして現状を正確に分析できないんでしょう。で、このブログは、4期16年続いた狛江の共産党市長について、権力の座に長く座ることで勘違いしたあげく組織が腐敗する、と書いている。国政から市町村まで、ろくな政治家がいないのはどうしてなんでしょう。ポピュリズムなんて言葉は、有権者を馬鹿にしているとしか思えない。共産党という上意下達型で硬直した20世紀型政党の限界、というわけなんだが、長期政権を支えたのが誰かわからなくなった。政治権力は定期的に浄化改新しなければならない、ということです。
楽なログ
魔術師、還らず。狛江市


脱原発デモなんだが、このブログではGoogleマップなんかを使って主催者側発表人数の真贋を分析しています。どうも警察発表より十倍くらい多いらしい。この差はありがちな誇大見積もりどころじゃなく、結果的にデモ側への不信感を感じさせて逆効果じゃないのか、ということです。
CYBER SURVIVOR
結局6/29の官邸前デモにどれだけの人が集まったのか?

ネットやいわゆるビッグデータを利用してマーケティングや顧客サービスを充実させようというのは、もう当たり前のことになっています。まだまだ遅れてる企業も多そうなので、そのへんにビジネスチャンスも転がっていそう。コンビニ業界も進んでるとこと遅れてるとこに二分化しつつあるらしい。で、このローソンはかなり進んでいて、いろんなカスタマーサービスにネットを利用しているようです。
みたいもん!
ローソンのソーシャルメディア無双が、第1弾の完成を向かえようとしている

事故から一年が過ぎて少しずつデータがそろい始めているようです。原発事故自体、あまり比較事例がないんで、やはりチェルノブイリのデータを基準にすることが多い。で、このブログでは、希ガスが多いが、ほかの物質は福島のケースはかなり低い、と書いています。空間線量も被曝量も低くなってきていて、福島の復興に明るい材料と言える。ただし、原発自体の安全確保とこれとは別の話で、対策をしっかりしつつ、徐々に脱原発をしていけばいい、と書いています。
warblerの日記
福島の原発事故と、チェルノブイリの原発事故の被ばく量などの比較─福島の現状について

エアコンなんて頻繁に取り替える家電じゃないんだが、価格も安くなってきたし、省エネなどの機能も格段に進歩しています。そうなれば、気軽に変えてもいい、とも言える。ただ、大き過ぎる室外機とか太くてウネウネした配管、煩雑な工事、あれはなんとかならないのか、と思う。室外機がなくても従来型と同じ性能を発揮できる製品はないんでしょうか。つまり、エアコンはまだ開発余地のある家電、ということです。
Sallyの家電研究室
これを見ればもう悩まない!各社エアコンの特徴を総ざらい

自分が恋人同士や友だち同士と思っていても、必ずしも相手が同じように思っているかどうかわからない、という話です。SNSの「友だち」なんて、いてもいなくてもいいわけで、そんなに気むずかしく考えることはないと思うんだが、Facebookという実名を前提としたリアルな人間関係模倣メディアではそうはいかないらしい。ただ「友だち」という言葉にこだわり過ぎているだけとも言えます。
Nothing ventured, nothing gained.
[ネット社会] ともだちってなんだろう – Facebookにおける対称性が強いる「ともだち踏み絵」

飲料業界は群雄割拠です。伊藤園といえばお茶なんだが、果汁飲料も作っている。これは、一個のペットボトルなりに、どんだけトマトを入れるか、を競合各社が競っているという記事。トマトジュースは好き嫌いの多い飲み物だと思うんだが、飲みやすさも重要なファクターらしい。筆者的にはタバスコをおまけにつけてほしいです。
ライフハッカー
伊藤園の伏兵、「濃縮しすぎるトマトジュース」が革新的だった

すでに資本も労働も本来の役割を終えている、というわけです。ようするに経済は人為ではコントロールできない次元に落ちてしまった。マルクスは人間が歴史を変えることができる必然を説いたんだが、20世紀をみれば人間が歴史を決めることくらい恐ろしいことはない。ただ、巨大過ぎて変えられない状態が幸福かどうか、ということです。
tnlabo’s blog
労使関係は死んだのか

LED照明の利点の一つが、フレキシビリティです。形や大きさ、設置場所を問わない。価格がこなれてきたので物量作戦も可能になってきました。これはブラインドから漏れる外光、というのがコンセプトの照明らしい。なかなかいい感じです。
j-tokkyo
日光のLEDウィンドウ

外務官僚出身の民主党議員のブログです。言いたいことはわかるんだが、選挙でなんと言って政権を奪取したのか、よく考えたほうがいい。増税するなら総選挙後にしろ、という意見も多いわけで、公約やマニフェストが反故にされるなら、政治家は当選するためなら何を言ってもいい、ということになる。目的と手段をゴッチャ煮にするな、ということです。
治大国若烹小鮮 ─ おがた林太郎ブログ
「国会に幽霊が出る—総論賛成・各論反対という幽霊が」


アゴラ編集部:石田 雅彦