大飯再稼動でも課題山積=「安全」に関心が行き過ぎていないか?—元担当官僚に聞くエネルギー政策

アゴラ編集部

photo7月1日に停止中であった関西電力の大飯原発が再稼動をした。しかし、それでもエネルギーと原発をめぐる解決しなければならない問題は山積している。

元経済産業省官僚で資源エネルギー庁在籍時に電力・ガス制度改革や再生可能エネルギー発電振興などを担当した経験があり、現在は民間で中立の立場から提言を続ける「政策家」石川和男氏にインタビューを行った。論点の整理と専門家の意見を紹介して、エネルギーをめぐる議論に役立てたい。


石川氏はGEPRの5月7日付インタビュー記事「原発再稼動、対話不足ミスの修正を
=安定供給を全国民が考えるとき—政策家・石川和男氏に聞く(上)」「容易ではないピークシフトの実現、再生可能エネの拡充
=元経産官僚の語るエネルギー政策最前線
—政策家・石川和男氏に聞く(下)」に登場。官と民、双方の立場を解説し、バランスの取れた見解に多くの読者から共感のコメントをいただいた。

石川氏は再稼動をめぐる市民の不安を当然としつつも、原発の再稼動が政治的な混乱の結果困難になっていることを「行き過ぎ」と指摘。安全を追求するだけではなく、コスト、安定供給、環境への配慮をして、冷静なエネルギー問題での選択をすることを呼びかけた。

「新アイデア」は慎重な検討を

—大飯原発の再稼動が決まった。エネルギー不足の問題は解決するのだろうか。

関西広域連合、なかんずく反対の象徴的存在であった橋下徹大阪市長が6月に再稼動やむなしとの意思を発したことは真っ当な政治発言だ。停電による社会生活や経済活動へのリスクは大きい。首長らは政治的な批判を浴びかねなかったが、それでも市民のために適切な意思表明をしたと思う。

しかし危機は去っていない。経産省の電力需給検証委員会の資料などによれば、大飯原発を稼動してもピーク時点の関西電力管内の電力余力は平年並みの場合に「ゼロ」。通常数パーセントの余力を残すものだ。気温上昇や事故一つで停電が起こるリスクは高い。

—再稼動対策として夏季限定再稼動などさまざまなアイデアが出ている。

新しいアイデアが出されることは歓迎されるべきだ。しかし、エネルギー産業現場の実務家や技術者たちの意見を聴き、政策を担当した経験からすると、疑問に思うものも多い。

例えば「原発を夏に限定再稼動する」という意見がある。短期間で点けたり消したりする原発の運用を私は世界各国の事例で聞いたことがない。技術的にもコスト的にも決して推奨されていない。どんな機械でも頻繁に作動と停止をすれば故障の原因となるし、燃費効率も悪い。特に原発のように停止と稼動で数百度も温度差があるプラントではなおさらだ。

原子力の情報は世界が瞬時に共有される。日本の主要都市の首長が「夏季限定稼動」などと発言したならば、「日本の政治家は原子力の知識がない。ブレーンもいない」と他国に認識されてしまう。日本の政治と、その政治家個人の信用を失わせる。誤った情報を政治家や一般の人に伝える人は、とても罪深いことをしている。

—自家発電の活用のアイデアもある。全国の自家発電設備を全稼動させたら、全エネルギーの1割弱になる。(編集部注・2011年エネルギー白書第1章第4節記事

数字上ではそうかもしれない。しかし、自家発電を原発の代替として使うのは無理がある。こうした設備は、製造業が自社工場に使う前提でつくられている。電力網につなぎ一般向けの供給をする電源ではない。

経産省は電力の大口自由化を進める際にPPS(発電事業者)の育成、自家発電増設の奨励を行った。ところが原油、LNGなどの価格が上昇した2005年以降、その増加は止まってしまった。当時、電力会社やガス会社の方々は「自分でやれば発電の大変さが分かる」と口を揃えて話していた。

東京都が猪瀬直樹副知事を中心に行っている発電事業プロジェクトなど意欲的な取組みがある。比較的大きな規模の発電事業であり、こうした動きが広がることを期待したい。もっとも、原発の代替電源になるには何年かの時間は要する。

難しい即座の「脱原発」

—原発停止分の電力を供給する方法はないのだろうか。

20年以上の長期は別にして、今年の夏や今後数年の目先を考えると「ない」と断言せざるをえない。私は福島原発事故の後で国民の中に原子力への不安感が広がったことは当然と思う。だが、すべての原発が停止するのは「行き過ぎ」だと考えている。エネルギー政策は安定供給と安全、そしてコストを考えたものでなければならない。不安は当然としても、再稼動の議論では「ゼロリスク」という形で安全に注目しすぎているようだ。

原発の代替電源として火力発電を稼動させることで、追加的に必要となる原油、LNG(液化天然ガス)の費用は、昨年で2兆円超、今年は3兆円超もかかる。単純に計算すれば、1日100億円弱の化石燃料が余分に燃えている。しかもそれは海外から買ったもので、国富が流失している。

私は海外の投資家と頻繁に意見交換をしている。彼らは「1日100億円、エネルギーを余分に燃やす」ことを不思議がる。「『行き過ぎた民主主義』が一因」と説明すると、彼らは納得する。経済活動を中心に考えるビジネスマンは、日本人の原子力に対するさまざまな心情を理解せず、「不思議の国」に見えてしまうのだろう。

—原子力の発電に占める比率が内閣府や経産省の特別委員会で議論されている。細野豪志環境大臣は「2030年に15%を軸」などと発言している。

議論をいったん収束させる観点からは、「15%」というのもあり得る。しかし本当は、固定的な数値目標を設定することは危険だ。数字は一人歩きしかねない。私は経産省で、電力供給計画策定や電力保安規制、電力・ガス事業制度改正の担当部署に属していた。無資源国の日本では、国際情勢にエネルギーの調達は左右される。「市場に任せる」というのは言い過ぎかもしれないが、そのときの状況に合わせてエネルギー構成は変えていかなければならない。

未来に向けて-東電の責任論、再稼動問題の早期決着を

—前回のインタビューで石川氏が危惧したように、東電の賠償が膨らみ、追加負担の検討が始まった。東京電力の処理は、原子力損害賠償機構が国の国際を担保に資金を交付、東電に貸し付ける仕組みだ。東電の会社更生法による破綻処理という手法もあったはずだ。(編集部注・処理スキームの説明。GEPR記事「東京電力をどうするか ― 避けられぬ体制変化では「現場力」への配慮を」)

経産省での検討経緯を考えると、東電処理策は「悪い選択肢しかない中でよりましな手段」を選んだのだろうと思う。私は経産省の処理策は妥当だと考えている。結局、賠償は誰かが払わなければならない。そして政治の決定で、賠償額には上限を設けなかった。この条件の下で会社更生法によって東電を破綻処理すると、賠償や事故処理の停滞、さらに電力の安定供給が行えないなどの可能性があり、震災直後の昨年夏に社会混乱が起こりかねなかった。

倒産という手法は東電に懲罰を与えようとする世論にとっては痛快だったかもしれない。しかし、政府・経産省が慎重策を選択した理由はよく理解できる。ただし、東電に全額負担させる現行の方法はもはや限界にある。手つかずの責任論、賠償の範囲の議論に早急に結論を出さなければならない。早急な方向づけは被災された方の生活再建にも役立つ。

—大飯原発の再稼動があっても電力不足は続く。また法令での13カ月運転後の定期点検で大飯原発が停止すれば、また来年の夏に関西で需要不足の懸念が生じる。同じことが起きる。これをどうすればいいのだろうか。 

安全性を確認した原発から順次再稼動することが必要だ。特に電力不足の懸念される関西にも九州にも電力を送れる四国電力の伊方発電所(愛媛県)などである。もちろん、安全性の確保と人々の不安解消は必要だ。新しくできる原子力の新規制機関で新しい基準を作り、その手続きを素早く行うことが必要である。

なぜ再稼動が遅れているか、経産省・資源エネルギー庁の関係者や政治家に話を聞いてみた。すると、世論の動きを読み切っていないこともあるが、関西首長らの反対、世論の厳しさが想定以上であったというのが大きいとの印象を受けた。「世論」の暴走を恐れた政治家の先送りもあった。適格な広報と、政府や電力会社が前面に出る国民との対話によって、大変な道のりであるが信頼の回復は進めなければならない。

政、官、民の役割の再定義を-混迷からの脱出策

—今後原発再稼動ができずに、電力の安定供給への不安が続きかねない。どのようにすればよいのか。

昨年の東北、そして関東ではエネルギーのない恐怖と辛さを、震災直後に体験した。そして今、電力不足の懸念の中で、多くの企業、病院などが苦しんでいる。原発への懸念と同時に、電力の安定供給の重要さを、私たちは改めて認識した。

6月10日に福井県に大飯原発の再稼動を要請することを表明した野田佳彦首相の記者会見では、原発の安全追求を強調しながら、安定供給とエネルギー価格の抑制の必要性にも言及して、日本に原発は必要と明言した。常識的には、大勢はこの方向に落ち着くはずだ。国民の中にある安全への懸念は当然としても、原発全停止などと行き過ぎた行動は止め、慎重に政策を私たちは選ぶべきだろう。

—一連の混乱は、菅直人前首相の法的根拠のない「原発の停止要請」や「ストレステスト」によって始まった。世論が感情に流れた面もある。エネルギー政策の適切な意思決定を行うために、どのような体制が必要と考えるか。

国民の付託を受けた政権与党、そして大臣の指揮があるのは行政の理想だ。しかし、その正当性は「正しい政策を行う」ということで担保されなければならない。「専門家の意見をしっかり聞いて、世論を反映させながら、政治家は官僚を主導してほしい」と願うしかない。一言でまとめれば、「しっかりして」ということ。民主主義体制では、高い能力が政治家に期待されているはずだ。

例えば、震災の復興の際に、都市ガス、プロパンガス、ガソリンは早期に供給が回復した。これは経産省と民間企業の現場にすべてを委ねたからだと強く思う。また、道路や通信も早期に復旧した。これは民間企業、さらには警察庁、国交省という現場の職員が主体的に取り組むことができたためだと思う。菅首相が介入して混乱した原発政策、事故処理とは対称的だ。もちろん専門家だけの運営の危うさもある。その一例が福島の原発事故であろう。

要はバランスで、トップの政治家と官僚が職権の範囲の中で協力し合い、民意を受け止めながら政策にまとめる作業は必要だ。その仕組みを2009年の政権交代以来、日本中で模索している。

「政治主導」や「民意の反映」は理想ではある。しかし、それは最近のエネルギー政策で見られたように、過度にコンセンサスを求めて何も決められない状況をつくるとか、既存のシステムや法律を無視する形ではないはずだ。エネルギー政策では当然の前提となる、コスト合理性や安定供給というテーマも、安全と同時に検討されなければならない。

政治家と政権与党は世論の合意形成を主導してほしい。「原発賛成か反対か」という単純な議論を主導するのではなく、総合的な視点での政策、議論を丁寧にしてほしい。正確な情報が提供されれば、賢明な日本国民は適切な結論を必ず導きだすはずだ。

取材・構成 アゴラ研究所フェロー 石井孝明