京都新聞のこの記事、大津市、遺族にいじめの日時特定要求 中2自殺訴訟には飽きれ果てて、流石に言葉も出ない。
大津市で昨年10月、マンションから飛び降り自殺した男子生徒=当時(13)=の遺族が、自殺はいじめが原因として市などに損害賠償を求めた訴訟で、「校内で教師がいじめを見逃していた」との事実認定をめぐり、市側が遺族に対し、いじめの日時や現場を特定するよう求めていたことが7日、分かった。遺族側は「学校内部で起きたことを両親が特定できるわけがない。本来は市側が調査し、明らかにするべきことではないか」と反発。いじめの実態や自殺との因果関係を立証する責任は原告にあるとする市の姿勢を批判している。
言うまでも無い事であるが、これは遺族側の主張が正しい。学校、更には教室は密室であり、保護者がその中身、実態を伺い知る事は不可能である。
従って、教室の統治は学校が責任を持って行う。教室の適正運営がされているのかを教育委員会が確認する事で、事故を防止する。そう言う建前で保護者を信用させ、ここまでやって来た筈である。
従って、生徒の自殺に際し、行き成り「卓袱台返し」、訴訟するのなら証拠を持って来いと開き直る大津市の神経と常識を疑う。
原点に帰って説明するならば、大津市は徴収した市民税の見返りとして、納税者に対し行政サービスを提供している訳である。謂わば、「市民」、「納税者」は顧客であり、顧客の正当なクレームに対して「難癖付けるな」と開き直っている様な本末転倒した話である。
飽く迄私の個人的な推測であるが、担任の教師は保身と怯懦から「虐め」の事実、実態を抱え込みマネージメントラインの上司に相談しない。
クラス運営の失敗は学校全体の責任問題となるので、学校は「虐め」と「自殺」の因果関係が立証出来ないと逃げの一手となる。自殺した生徒と、その家族に対し誠意の欠片すらない。そして、それを立証するのが自分達の本来業務であると言う、当事者意識の不在が顕著である。
教育委員会も学校の運営に責任がある立場なので、何とか事件をうやむやにしたい。従って、訳の判らぬ言い訳と誤魔化しの一手となる。更に、本来市民に寄り添うべき「市」も、同じ穴の貉である事が今回焙り出されたと言う所ではないか?
三日前のアゴラ記事、子供を学校に殺されない為に親は何をすべきか?で、私は下記の如く提案している。
さて、問題はこの危険極りのない学校からどうやって我子を守るかである。第一に、先ず子供に学校は危険極りのない場所である事を教える事である。第二は、「虐め」は常態化しており、被害者になる事も充分に有り得、「特殊」な事でも「恥ずかしい」事でもなく、先ず親に報告する事を口を酸っぱくして教え込む事である。最後は、今回の様に「暴行」、「傷害」の被害者となったら、何をさておいても病院に直行し医師の診断を受けた後、「診断書」を作成して貰う事である。そして、被害に至った経緯と「暴行」、「傷害」の具体的な内容を纏めた文章と共に被害届として警察に提出するのである。念の為、コピーを準備しておき、今回の様に所轄が被害届を受理しないと言う事であれば、弁護士に付き添って貰い県警本部を訪問すれば良い。大事なのは、「学校」や「教育委員会」と言った、保身に捉われまるで張りぼての如く機能しない組織に相談し、時間を浪費している間に子供が自殺してしまう事を回避する為、「診断書」の如き客観的正当性のある「証拠」を警察に提出し、後は「司法」の判断に委ねる事である。
これに付け加えるとすれば、「市」も全く頼りにならず、寧ろ敵であると言う誠に以て残念な事実である。
かかる地方行政の暴走に際し、「教育」全般の監督官庁である文科省は、本来一歩も二歩も踏み込んで問題の解決を前に進めるべきである。何分、省として鼎の軽重が問われている訳である。
しかしながら、読売新聞が伝える高井美穂副大臣のコメントを読む限り、全く問題の本質が理解出来ているとは思えない。
文科省の高井美穂副大臣は5日の記者会見で「事実関係をしっかり確認したい」と語った。いじめと自殺の因果関係などを調べるかどうかについては「学校に主体的に決めてもらうことが基本。市教委と協力して現場で対応してほしい」と述べるにとどめた。
繰り返しとなるが、問題の本質は、生徒が自殺に追い込まれた「教室」、その教室を統治する「学校」、そして「学校」を管理、監督する「教育委員会」が自らの保身の為に事実の「隠匿」と言う負の連鎖を続けている事である。
今回、「市」も又同じであり、全く以て期待出来ないと言う事が焙り出された訳である。従って、誰かが、何処かで、この負の連鎖を断ち切る必要があるのだが、文科省は指を咥え、傍観を継続すると宣言しているのである。
こう言う事であれば、親が体を張って我子を守るしかないのではないか?
山口巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役