山県レジームからの脱却

池田 信夫

アゴラの書評に橋下市長からコメントがあったので、ちょっとメモ。


この記事で「職権を濫用して政治活動を行なうのは禁止すべきだが、官僚の仕事は政治的に中立ではありえない」と書いたのは橋下氏に対する皮肉だったのだが、さすがに彼は気づいて、「身分保障がなければ問題なし。政治は選挙で審判を受けるもの。自分が正しいと思っても選挙で支持を受けなければそれで終わり。ゆえに政治任用制度が必要だと思います」と答えた。

これは重要な問題で、榊原英資氏もいうように日本の公務員のように厳格に政治活動を禁じている国はあまりない。これは山県有朋の遺産である。もとは日本でも幹部公務員は政治任用だったが、山県は議会を信用していなかったため、高等文官を試験で選抜して政治任用を廃止した。知事や市町村長なども明治初期には地元の地主などがなっていたが、山県が官選にした。つまり現在の中央・地方の官僚制度は、彼のつくった山県レジームともいうべきものだ。

これは西洋的な三権分立とはまったく違う「東洋的専制」だが、その実態は長州による藩閥政治だった。明治憲法では議会は天皇に「協賛」するだけの存在だったので、実質的な中心は元老としての山県であり、こうした密教としての藩閥政治を顕教としての憲法で隠したのだ。これは古代以来の二重統治だが、密教である元老の力がなくなると求心力が失われ、軍部の暴走を止められなくなった。

戦後は元老の位置が空席のまま、アメリカの意向を受けた自民党の実力者(中には岸信介のようなCIAの工作員もいた)がタコツボ的な官僚機構を人脈でつなぐ地下茎の役割を果たしてきた。しかしこれも密教なので、自民党政権が崩壊するとアメリカの支配力がなくなり、政権が空中分解してしまった。

この権力の空白を埋めるためには、公務員制度改革で政治任用を増やし、内閣に予算の企画機能など実質的な権限をもたせる必要がある。しかし山県以来100年以上つづいてきた「純血」の官僚機構は政治家をバカにしているので、政治任用を許さない。自民党時代に改正された国家公務員法も、天下りばかり話題になって肝心の人事制度はほとんど手つかずだ。それを実行しようとした古賀茂明氏は、霞ヶ関を追放されてしまった。

日本の統治機構の根幹は国会ではなく官僚機構であり、その根幹は人事制度だから、政治任用で山県レジームを脱却することが改革のコアである。ネポティズムになるリスクもあるが、任期に制限を設けて範囲を限定し、徹底した情報公開で防ぐこともできよう。霞ヶ関の抵抗は非常に強いので、大阪市が率先して政治任用を拡大し、「特別顧問」を幹部に採用してはどうだろうか。