世界のエネルギー需要と日本の役割(続編) --- 今泉 武男

アゴラ編集部

先日、主題について述べたが、字数制約で説明不足だったので補足する。

強調したいのは、21世紀後半に貧困から抜け出して、最低限の人間らしい生活を目指そうとする何十億という人々に対して、我々先進国はどういう技術的手段を選択肢として提供しようとしているかである。その選択結果は地球環境も含め先進国にも重大な影響をもたらす人類共通の課題である。


少子高齢化が進み人口が減少する日本を初めとした国々と、これから国家の発展をめざして大規模な社会インフラを短期間で整備していかなければならない国々(アジア、アフリカ、中近東、中南米)とは、自ずと選択における価値観や判断基準が異なることを我々は理解すべきである。

今世紀後半、新興国においても人口増加の大半は都市部に集中し、東京や上海のような巨大都市が世界各所に点在し、そこではエネルギー密度の高い電力の供給手段が必要とされるだろう。当然、その供給手段は都市が必要とする総電力量を安定して提供できなければならないし、経済的かつ安全である必要がある。

昨年来日したダライ・ラマは『これからのエネルギーは途上国にとって十分でなければならない。それは豊かになった先進国にとってではない』という趣旨の発言をおこない、貧困社会の格差解消の一手段として安全な原子力の必要性を指摘している。

今後、日本が原発事故を切っ掛けに国民の総意として高コストな再生可能エネルギーを主幹として位置づけるべく大和魂で挑み、高価格で地政学的なリスクもはらむ石油や天然ガスに大きく依存し、その結果として国富の流出と国力の衰退の道を歩むのではあれば、それも一つの国家的選択として歴史に記録されるだろう。

一方、今後の新興国の人々は、より現実的な視点から彼らの需要を満たす手段を選択していくに違いない。それに対して悲惨な災害を経験した日本が主観的な心情論理に基づいた『人口減少国家』のモデルを一方的に押しつける権利はないと思う。

シェールガスで沸く米国と異なり、資源がない日本がめざすべきは貴重な石油を『燃料』としてではなく『原料』として使う『脱化石燃料』の道であり、新興国の求める安全な原子力に技術面で貢献することである。それが『国際社会において、名誉ある地位を占めたい』と願う日本の役割であり、生き残り戦略ではないだろうか。

今泉 武男
電機メーカー