「民主主義」という幻想

池田 信夫

きのうアゴラの合宿で田原総一朗さんと中村伊知哉さんと話した「決められない政治」についての議論がおもしろかったので、感想をメモしておく。


なぜ政治が混乱しているのかという話になると、すぐ衆参のねじれとか選挙制度とかいう話になるが、私は根本的な問題は日本が民主主義ではないことだと思う。そもそもdemocracyを民主主義と訳すのは誤訳で、もとになったギリシャ語のdemosは民衆、kratiaは権力という意味だから、「民衆支配」ぐらいだろう。これはaristocracyの対義語で、一部の貴族ではなくコミュニティの全員が意思決定に参加することだ。

この意味では、日本の政治の実態はデモクラシーではなくアリストクラシーである。なぜなら、選挙で選ばれた国会議員が立法機能をもっておらず、官僚のつくった法律に注文をつけるロビイストでしかないからだ。ところが民主党は日本の政治がデモクラシーだと信じ込んでいるから、討論型世論調査とか訳のわからないことをやっている。たった286人の世論調査で何を決めようというのか。

 選挙→国会議員の選出→立法→官僚の執行

というのがデモクラシーの建て前だが、実際の意思決定は

 課長補佐が企画→課長が根回し→局長が政治家に説明→法案提出→国会が承認

という流れで行なわれる。政治家は「先生」とまつり上げられているだけで、国家戦略室の「シナリオ」には何の法的拘束力もない。エネルギー基本計画を決めるのは経産省だが、彼らは余命いくばくもない民主党政権では何も決める気がない。民主党もそれはわかっていて、なるだけ派手に「脱原発やってます」というポーズを見せて次の選挙で生き残ろうとしているのだろう。

この状態で選挙制度をいじっても憲法を改正しても、ロビイストの構成が変わるだけで本質的な変化は起こらない。日本の官僚機構は儒教的アリストクラシーだから、絶対的な権力をもつ「皇帝」が必要なのだ。自民党政権の時代に曲がりなりにもものが決まっていたのは、アゴラでも書いたようにアメリカという皇帝がいたからだが、もう彼らも日本には関心がなくなったようだ。

フクヤマファーガソンも指摘するように、デモクラシーは近代国家に不可欠の要件ではなく、重要なのは法の支配である。エネルギー政策のような専門的な問題を素人の「民意」で決めようというのがナンセンスだ。民主党もマスコミ向けのスタンドプレーはやめて、アリストクラシーを機能させる制度設計を考えたほうがいいのではないか。