Krugman 唯一のポイント

小幡 績

本当にこれはKrugmanが書いているのか、読んでいる人々は、本当に良いと思っているのか、少なくとも一流インテリ紙、ニューヨークタイムスが、自己の見識を問われると思っていないのか、いろんな疑問がわく。

飽き飽きしたので、今後は、派生した論点を独自に議論することにする。

その前に、最後に唯一の論点をまとめておこう。


それは、先のエントリーでも書いたように、krugmanの財政出動は、縮小均衡から、その萎縮にショックを与え、世界を動かすための財政出動ではなく、いわゆるデフレギャップを埋める財政出動だということだ。

これは、

1.リーマンショックから時間が経っており、もはや経済は縮小均衡ではなく、不況だとすれば、普通の不況になっている。

2.人々は何かきっかけがあれば大きく動くのではなく、所得が増えれば、その分、消費をするし、借り入れ制約に陥っている人々で、借りられればぜひ消費をしたい、と思っている人は、借り入れが出来るようになれば消費はするだろう

という現状において、財政出動をしろ、カネを貸せ、借金を棒引きにしろ、というKrugmanの政策提言(単なる罵倒?飲み屋談義?)は、量を政府が補う、失われたモノを補填する、ということで、萎縮して縮小均衡に陥っているものの流れを変えるわけではない。

本に戻れば、

3.彼は戦争により1930年代の大恐慌から最後に回復することになった、ということを繰り返し強調しているが、それは、きっかけ、magnateではなく、需要量の補填だ。したがって、彼の意図も明らかに量の補填にあると思われる。

しかし、ケインズはそんなことは一言も言っていない。

彼は、穴を掘って埋めても良いんだ、と言ったが、これこそ、量ではなく、きっかけが必要だと言うことを主張したポイントだ、

縮小均衡から爆破して、新しい均衡に移るためには、そんな無駄なことでもプラスになるぐらい、今は縮小均衡なのだ、ということを言いたかったのだ。

実際、穴を掘って埋める、と言う話の直後に、経済が動き始めれば、直ちにそれは止め、民間消費も動き出すし、政府の支出も有益な公共事業に換えた方が良い、と言っている。ここでの財政出動は、量の話で、役に立つものでないといけない。これは面白くもおかしくもない財政出動なので、ケインズは多くを語らず、量については議論を流しているのだ。

したがって、Krugmanはケインズを読んでいないか、意図的に我々をミスリードしているのだ。

Krugmanは、財政出動が行われない理由を、政治的立場や偏見な自己利害などに帰しているが、彼の財政出動の主張こそ、彼の政治的意図、名声的意図、復讐のために行われているのだ。