後悔しないKrugman

小幡 績

つまらないKrugmanの話に戻ろう。

Krugmanは後悔しない。

バブルがあったことはすべて忘れて、今の経済を観よう。

あ、失業者がいっぱいいるじゃないか。

大恐慌の時と同じだ。

財政出動しないと。あり得ないくらい大規模に。失業がなくなるまで。

ということだが、バブルを忘れるのはいいことなのか?

今の失業が重要。

これはそうだ。

失業の理由は、構造的ではなく、需要の全般的な減少にある。だから需要を増やせ。

ということだ。

しかし、まず、基本的な問題がまずひとつ。

需要不足なのではなく供給過剰なのではないか。

ということだ。

2002年から米国のバブルが続いていたとすると、リーマンショック時点での供給過剰はかなりすすんでいたのではないか。

住宅、自動車がその代表だが、住宅は在庫が少しずつ処理されて、地域により回復に向かい始めている。投機的要素の強かった地域、セカンドハウス、サードハウスの投機用の地域は回復は遠いし、それらの物件は浮かばれないだろう。

一方、NYの超高級不動産も状況が悪くなってきたし、これは継続するだろう。金融業界の人々へのダメージはいよいよ顕在化してきた。

これらのものは、前者は明らかなバブル、後者もバブル関連だ。

彼らが住んでいたアパートメントは素晴らしいものだし、趣味の悪い成金バブルとは異なる。だから、Value for moneyとして考えると悪くない。ところで、米国のいわゆるセレブ達でも趣味のいい人と悪い人がいて、それは日本でも同じなのだが、本当のセレブはValue for moneyが高いところに住んでいる。

だから、高級物件全てが悪いわけではないのだが、やはり、ここは需給。需要が減れば、価格は下落せざるを得ない。質の良いものは値下がりしにくいが、それでも、趣味の悪い高級物件は壊滅だし、質が良くても値下がり傾向にはなる。

だから、質の良い物件も供給過剰とまで言えなくとも、価格が下がってくる。

自動車にも同じことが言える。レクサスが米国で売上が落ちたのは、レクサスがバブルな車だったのではなく、バブルな人々がValue for moneyでまともな車を買っていたのだが、バブルな人々がいなくなっただけのことなのだ。

だから車の作り手は誠実でまったくバブル的でなく、需要に応じて良い車を作っていたとしても、バブル崩壊で、供給過剰にはなってしまう。

バブルで儲けた人々の消費がまともであった場合、すべてのセクターが供給過剰になる。

だから、バブル崩壊で、構造的な失業が産まれる。

それは需要を補填すれば、確かに元に戻る部分はある。

しかし、そもそもの消費水準が高すぎた。バブルによるキャピタルゲイン、それを消費に回した部分、これが持続的に生じないと、経済が持続しないのであれば、やはり、それは需要が超過していて、それに対応する供給力が生み出されていた。

そう考えるのが、バブル崩壊後の需給ギャップに対する解釈としては普通で、その拡大が急激すぎるから、それを緩和するために、部分的に政府の財政出動で、需要の量を補い、移行プロセスの摩擦を緩和するのだ。

リーマンショック後、起きたことはこういうことだし、日本のバブル崩壊後も、同じ調整だった。

大恐慌の時の混乱とは、本質的に違う。

金融バブル崩壊後、失業率が高止まりしていることだけで(しかもその水準は遥かにマイルドなのに)、大恐慌と、現在を同じというのは、三流タブロイド紙(今なら、キワモノブログか)レベルの議論だ。

こういう議論をしてもクルグマンは後悔しないのか。

ということは、執着も反省もなく、進歩を放棄したということか。