反原発運動の自爆

池田 信夫

あまりにもあほらしいので無視していたが、エートスプロジェクトに対する反原発派の攻撃が常軌を逸しているので、ちょっとコメント。


エートスというのは、チェルノブイリ事故のあとベラルーシで始まったプロジェクトで、EU各国の専門家が汚染地内での生活と環境を回復させるために正しい放射線の知識を広めようというボランティア活動だ。今回はICRPのロシャール委員などが福島に入って車座集会を開き、住民の不安に答えた。

ところが、これに対して上杉隆氏が「チェルノブイリのときもエートスで騙された」などと難癖をつけたことをきっかけにして、「エートスは国際原子力マフィアで人体実験をしている」などというデマがネット上で飛び交っている。その内容がナンセンスであることは一目瞭然だが、問題はこういう感情論が暴走することだ。

私は日本の反原発運動の立ち上げの時期に、ジャーナリストとして立ち会った。高木仁三郎や久米三四郎は、アカデミズムの中では冷や飯を食わされることを覚悟の上で、炉心溶融という致命的な欠陥をもつ軽水炉をやめさせることに人生を賭けた。彼らの生前にはその予言は実現しなかったが、今回の事故はまさに彼らが正しいことを証明したのだ。

私は久米と原子力委員長のテレビ討論も演出したことがあるが、論理的には久米の勝ちだった。原発訴訟でも、炉心溶融の可能性を国は否定できなかった。多くの科学者が訴訟を支援したが、最終的にはすべて敗訴に終わった。そのとき反原発派が依拠していたのは、国家権力でも経済力でもなく、科学と論理だけだった。

ところが今回のエートス騒動で反原発派から出てくるのは「ICRPは御用学者だ」とか「原子力村の工作員だ」といった人格攻撃ばかりで、科学的な反論は皆無だ。これは海外の反原発運動に見られない特徴で、目的合理性より動機の純粋性を重視する日本的伝統なのかも知れない。

今回の事故がチェルノブイリと違うのは、あの事故のおかげで放射線の健康被害についての大規模な疫学調査が行なわれ、実は低線量被曝のリスクはそれほど大きくないとわかってきたことだ。ところがそれは反原発派にとっては「不都合な真実」なので、新しい科学的知見をのべる科学者を攻撃する。彼らにとっては、福島で何万人も犠牲者が出ないと困るのだ。

科学批判が科学を放棄したら、カルトにしかならない。ミュージシャンが「たかが電気」などといっても、エネルギー政策を変えることはできないのだ。ひところ話題になった官邸デモも下火になったようだ。反原発ヒステリーも自爆モードに入り、そろそろ幕引きだろう。