中学校以降の英語教育は二、三十年前と全く変わらない

MATSUMOTO Kohei Ph.D.

筆者は神奈川県の某私立中高一貫校に通った。そのほとんどの生徒が大学へ進学するいわゆる進学校であり、ハイレベルの学力が要求される。もうン十年の前の話であるが。当然英語も然りであり、雑草の身分の小生としては必死についていった。しかしその方法論として、英語を最終的にどのように捉えているか、という点については齟齬があり大いに不満であったことを懐かしくも思い出す。


即ち、英語というものは言葉、コミュニケーション手段であるべきで、点数化されるべきものではない、と雑草少年はまだ未熟な頭を振り絞って考えていた。文法は確かに必要であるが、ツールとしての英語であるべきだ、なぜならそれだけ勉強して英語が喋れない人がなんと多かったことか、不思議だったからである。大学まで含めると10年くらい勉強しているにもかかわらずだ。全く時間の無駄である。

そして時代は一周りしン十年後、どれだけ変わったか、小生の息子、その友人にインタビューしてみるとその不変さに失望した。永遠にこの国はブレイクスルーしないのか。確かに世界の中で英語に関するリテラシーはmoderateであるらしいのだが(下記参考サイト:英語能力指数)、しかしながら先進国の中は下位である。そして授業は相変わらずのヤル気のない日本語的発音、昔よりは多少良くなったものの相変わらずの受験英語偏重、和訳重視である(昔より多少は改善されているだろうが)。教養英語から実践英語への脱却が必要である。かつて私が在籍していたラボにいたマルタ人が、日本人の英語の出来の悪さを嘆いてジャピングリッシュと揶揄した(英語は各国でも方言があり、日本語的な発音云々とういことではなく、その意味はおそらくアイデンティティが無い等を含めて、という意味と思われる)のも頷ける。TOIEC等もあるが本来はコミュニケーションのための試験なのにいつの間にか何点取ったというテーマに摩り替わっている。あくまで英語は単なるツールであり、ソニー出井氏の言葉にもあるように(脚注)、完全に目標を履き違えている。

従前の議論(例えば、英語教育について(再考)、公立中学英語の現状、公立中学英語の現状、英語教師を撃て!)の通り言い尽くされており、どの論調も現状を憂いている。しかしながら一向に改善が進まない。論調の中での意見を要約すると、また小生の齟齬のない範囲で意見を述べると下記5点となる。

(1)中学校、または小学校から毎日1日1時間英語(他言語)の会話学習をするべき。日本人が日本語を喋れないことは有り得ない。即ち言語習得はその言語を喋ったり聞いたりする時間に比例する。要はヴォリュームが足りないのだ。

(2)ディスカッションによって言語化する機会を増やす。印象で論じるのではなく具体的知性的に議論する。

(3)自己とは、日本とは、世界とは何か、アイデンティティ教育の徹底(単一民族故に考察する機会のないのも事実であるが)。

(4)受験英語の段階的な撤廃。

(5)(ひいては)スカウティングによる大学選抜。

しかしながら5点は学校教育だけで成就されるとも思えない。上記は原則論でありそれぞれの現場が有るので各論は控えるが、英語教育一つにとっても日本のバイアスが凝縮された形で現れてくる。丹念に一つ一つ小間結びを解いていくべきである。

参考サイト:
英語能力指数(PDF) http://www.efjapan.co.jp/sitecore/__/~/media/efcom/epi/pdf/EF-EPI-2011-Japan.pdf

出井伸之、例えば、ヒューズが切れた。どうしてヒューズが切れたのか、と考えるのと、ヒューズの取り替え方を学ぼうとするのと、2つ対処法はあるわけです。ところが日本は、どうもヒューズの取り替え方みたいなものを教えたり学んだりするほうが、好きだったんだと思うんですね、これまでは。なぜ切れるのかを考えない。だから、現象にしか目が行かない。本質に頭が向かわないんですよ。
 http://diamond.jp/articles/-/22200

英語教育について(再考) https://agora-web.jp/archives/1349767.html

公立中学英語の現状 http://plaza.rakuten.co.jp/qchansensei/15022/

英語教師を撃て! http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/eigo.html

松本 公平 (MATSUMOTO Kohei Ph.D., Geoscientist)
Twitter: @MATSUMOTO_K_PhD

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