前回までは新興国の視点から原子力の意味を考えたが、今回は国内の電力問題に絞り今後の状況を人体に例えて考察する。
1.電力と血液
産業界における電力を人体で例えるならば、それは血液である。脳は10秒も血流が止まれば酸素不足で意識を失い、体の組織は数時間で壊死する。これは産業界も同じである。銀行や証券会社の巨大なデータセンターや、コンピュータ化された最新の工場の制御ルームは現代社会の脳であり、電力で駆動される鉄道やビルの空調機器は運動器官に当たる。
これほど重要な電力だが、原子力の抜けた穴を火力の増設で補い、さらに再生可能エネルギーとそのバックアップ電源(主に火力と蓄電池)の組合せにシフトしたとき、これらの連携上のトラブルは従来なかった新たなリスクを生む。太陽光や風力のような天候に左右される小規模&分散型の電源が多数接続された電力系統において、予測困難な未知のカオス的な事象によって大規模な障害が引き起こされるリスクはないのだろうか?電力系統を循環器系とするならば、我々の社会は外科的な大手術をインフォームド・コンセントなしにこれから受けようとしているように思える。
慢性的な電力不足に悩むインドで先月末に発生した大停電では、人口の半分の6億人に影響が出た。これは送電網の過大負荷が原因であり日本とは状況が異なるが、信頼性の高い電力インフラを構築した日本が、どの国も未だ取り組んでいない実験に充分な事前検証を行なわず国家全体で挑むのは賢明ではない。過去日本では電気料金は国際比較では高かったが品質も高く、社会もそれを前提としていた。今後、電力の価格が上昇したとしても品質が大きく低下するようなことがあってはならない。発送配電分離の議論においても安定供給は勿論、電力品質の確保やトラブル時の迅速な復旧体制を明確にして進める必要がある。
2.省エネと減量、節電とダイエット
省エネは減量に、節電はダイエットに例えられるだろう。国のエネルギー・環境の選択肢ではGDPの成長は低率を維持しながら、省エネと節電は高い目標を掲げている。日本経済がメタボになっているのであれば率先して取り組むべき課題だが、問題はその実現速度である。減量やダイエットも急激に取り組むと必ず弊害が出る。リバウンドによる逆効果もあれば健康への悪影響もあるだろう。もし、体重を10%減量し消費カロリーを10%落とそうとするのであれば、それなりの準備と覚悟が必要である。原発ゼロシナリオのような経済的に重い負担(例、非効率機器の販売禁止)は現実的には不可能と思うが、省エネや節電のための無駄な再投資が生じぬよう、優先順位やタイミングには慎重さが要求される。
3.ベース電源と主食、ミドル&ピーク電源と副食
ベース電源は日本人であれば米のような主食に相当する。仮に原子力という主食を無くすと不足するカロリーは火力という別の主食か再生可能エネルギーという副食で取らなければならない。しかし本来副食は栄養のバランスを取るのが主目的である。偏食を避け主食と副食の最適なバランスを考慮しなければ健康な食生活は維持できない。エネルギー問題においても同様で各電源間のバランスが重要である。特に主食には安定した入手性と経済性が求められるが、その点、世界的に需給の逼迫する天然ガスへの懸念は大きい。
4.生化学回路とエネルギーサイクル
生体内にはクエン酸回路や尿素回路のような生化学反応の回路がある。生物は何億年という進化の過程で物質とエネルギーのムダのない代謝回路を獲得した。一方、人間社会にもバイオ燃料のサイクルや未完成だが核燃料サイクルが存在し、工業レベルでのエネルギーサイクルの確立をめざした取り組みが始まったところである。生命の長い進化の歴史を思えば、革新的なエネルギーサイクル実現に向けた技術的課題が高いのは当然だが、人類の持続的な成長のため是非とも達成しなければならない。また、将来再生可能エネルギーによる社会を実現するには、生体におけるATPのような究極の化学物質による蓄エネ技術の実現が肝だと予想する。
5.エネルギー問題の専門家と医者
昨今、世間では様々な人がエネルギー問題に関して意見を述べている。自由闊達な議論は望ましいが、中には感情的で表面的な意見や知識不足による誤解も少なくない。それは丁度、重病に瀕した患者に対し医者でもない一般人が素人療法を行なおうとしているのと似ている(そう言う自分も素人だがここでは勘弁願う)。元々、エネルギー問題は国の安全保障や政治・経済・外交・金融等も関係し、専門性が高く、一般人では詳細を把握できない高度な技術内容も含まれる。我々は医療の世界で最後は医者に判断を託すように、エネルギー問題に関しても信頼のおける専門家に最終判断を任せる姿勢も必要であろう。当然専門家はその信頼に責任を持って応えなければいけない。
今泉 武男
電機メーカー