島田裕巳氏のツイートと同じことを思っていたので、ちょっとメモ。
最近の政治を見ていると、政党という単位が機能しなくなっているのがよく分かる。民主党も政権をとるための道具で、政治結社ではなかったようだ。これから、維新など新しい政党が生まれるのだろうが、政党としてのまとまりを維持するのが難しいだろう。
きのう松野頼久氏など5人が大阪維新の会に参加すると表明したが、松野氏は「TPPを慎重に考える会」の幹事長だ。「維新八策」で「TPP参加、FTA拡大」を重点政策として掲げる維新の会に参加するのは、政策より選挙で生き残ることが優先だということだろう。維新の会は、こんな政治家ばかり集めてもしょうがないのではないか。
前にも書いたようにdemocracyを「民主主義」という理想ととらえるのは間違いで、それは「民衆支配」であり、その実態は政党政治である。これは法的には自明ではなく、政党は私的な結社であり、日本のように公的助成するのはおかしい。公費を注入すると、国家が政党の言論を規制する権限をもつからだ(この点で政党助成金を受け取らない共産党は正しい)。
原理的な個人主義では、政治家はその信念にもとづいて立法するので「徒党を組む」ことは好ましくない。マディソンなどアメリカ建国の父はそう考えて政党を否定したが、バークは「ある特定の主義または原則において一致している人々が、その主義または原則にもとづいて国民的利益を増進するために協力する自発的結社」として政党(party)に肯定的な意味を与えた。
これは資本主義における会社(company)とよく似ている。株式会社が利益を上げるという目的のために人々がつくった結社であるのと同じように、政党は一定の政治的な理念を実現するための結社だから、そのコアは綱領や公約である。しかし二大政党のもとでは、そこに所属する政治家の理念がすべて同じということはありえないので、権力闘争や多数派工作が発生する。この結果、しばしば大衆迎合的な政治家が多数を占めて政治をミスリードする。
他方、日本の政党は丸山眞男のいうように人間関係で動く肉体政治だから、政党は政治結社ではなく個人後援会の集合体である。政策は官僚が立案するのでどうでもよく、その地元への利益誘導が政治家の仕事だ。つまり日本の政党は、形だけはデモクラシーだが、その実態は政治家が生き残ること自体が目的の選挙共同体である。こういう状態で何回選挙をしても、合理的な意思決定が行なわれることは望みえない。
ハイエクはバークを批判し、党派的な利害から独立した意思決定を行なうために、現在の議会(行政院)とは別に任期15年で被選挙権が45歳以上の立法院を提案した。これだと若者の意思が反映されにくいので、被選挙権25歳以上の選挙区と2つの「年齢別立法院」をつくってはどうだろうか。これは参議院の理念とも近いので、こうした前向きの改革なら参議院議員も乗ってくるのではないか。