いったいどのような政治を望んでいるのか

小幡 績

池田氏のエントリーにも、そこで引用されている島田裕巳氏のツイートにも強く反対する。

彼らは、政党政治をわかっていない。

政党とは政策の集合体ではない。徒党なのだ。徒党こそが、現代政治においては必要なもので、日本において政治が機能しないのは、政党が機能しないからだ。

したがって、彼らの考えは正反対であり、日本の政治では政党が機能していないのではなく、政党を機能させないから政治が成立しないのだ。


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池田氏や島田氏は、どのような政治を「現実的に理想」としているのか。

池田氏は純粋な政策による議論であるが、それならば、政治はいらない。アゴラで十分だ。(現状では相対的には日本ではかなり有力だが、もう少し論者の層が厚くなる必要はある。)

政策では政治は動かない。

野田首相でわかるように、彼が前の二人よりもましなのは、政策を新年として持っているからでもなく、政策を理解する頭を持っているからでもない。

政治とは、何らかの政策を実現する、ということを知っているからだ。

政治家は政策を発案する必要はないし、そのような能力もない。

世間で、決断を迫られている問題について、複数の案があったときに、そのどれかに決めることであり、その決定を国民に納得させることである。

その案、政策と言ってもいいが、それは経済の専門家、外交の専門家が考えることであり、政治家は決めて、国民的合意を形成することだ。

合意とは、個人的に賛成でも反対でも、決められた案を納得して受け入れるということだ。

一方、島田氏は、現実的に政治を考えていないのではないか。

これは東京のインテリの多くに共通する現象だ。

政治や政府の役割が低下した現代社会において(世界的にもそうだ)、政治は彼らにとっては、個人の生活にはほとんど関係がない。政治はエンタメの一つであり、知的に語るトピックの一つに過ぎないのだ。

現実的に、望ましい理想の政治は絶対に実現しない。

鳩山、菅、野田の中から選ばなければならないのであり、誰がましか、ということだ。

そして、それは民主党、という組織の限界がある。構成員の行動原理により、党首の力は制約される。リーダーシップとは、チームを勝たせるためのスパイスであり、ここのプレイヤーの質が悪いだけでなく、チームになる気がないプレイヤーの集まりでは、リーダーとしてはやりようがない。

カネを配って選挙を支援するか、あるいは人気のスピルオーバーにより、党に属すること、あるいは小泉支持に属することで選挙に勝たせることにより、組織に惹きつける、それが日本政治のリーダーシップに過ぎない。

それは日本だけなのか。

イエス アンド ノー だ。

世界的に、所詮、政治家は当選しないと生きていけない。だから、そのためには魂の半分は売る。そこは世界共通だ。しかし、日本特有なのは、政党をすぐに離党したり、いままでのボス、あるいは師匠を裏切って、新しい看板に乗り換えようとする、そのような政治家が当選するチャンスがあるのは、日本だけだ。

米国でも英国でも、いや大陸諸国においても、政党を移って当選する議員はいない。

日本の有権者は政治をまったく理解せず、自分たちの起こした風、少なくとも、つむじ風を台風にして、政治を混乱させておいて、決まらない政治を批判する。

政治家と政治の質が低いのは、選挙の質が低いからであり、それはどんな制度であっても投票行動の質が悪ければ、よくなりようがない。

小泉、政権交代、橋下、バブルに乗るのが大好きな有権者たちは、バブルが崩壊すると、バブルを生み出した責任を忘れるのだ。

政党でも派閥でもいいが、長期に安定した組織がなければ、合議である政治が機能するはずがない。

それを壊しているのは、有権者なのだ。

現実的には、政党に歴史を与え、安定化させる以外に道はない。

どんなに出来が悪くとも、既存の大政党をさらに育てていくしか道はない。