御用学者って呼びました? --- 中村 伊知哉

アゴラ編集部

中村伊知哉は御用学者である。IT業界に近すぎる。けしからん。
そういう批判を見かけます。ある有名サイトでもそうした論調を拝読しました。
やったぜ! チャンスだと思いました。だって、その意見、バカなんだもん。真っ向から潰し、世間の認識誤りを改めてみたい。だから、できるだけ炎上してもらいたかった。ところがコレが全く盛り上がらない。つまんない。
なのでここでサクっと御用+業界けしからん論に反論しておきます。(なお同時に、中村は学術論文を一つも書いていないという批判もあったのですが、確かにそこに力は入れていないものの、単なるウソなので、それは省略。)


まず、御用について。
御用学者ってのは通常、政府や政権の意を受けて、その都合のいいように太鼓持ちをする輩のことを指すのでしょう。ところが、ぼくはけっこう政府の逆張りなのです。ヲチしてる人はご存じのとおり。
民主党政権が掲げた日本版FCC設立に真っ向から反対し、話が潰れるまで論陣を張りました。電波政策に対しても開放路線を主張、電波特区も推進しました。自民党政権時代には国内産業重視で総花的なコンテンツ政策に反論、デジタル+ポップカルチャー+海外重視路線に転換すべく動き、民主党政権で実現。通信・放送融合法制も政府の意向を突き抜ける案でニラまれました。教育情報化は今も改革急先鋒で政府から目をつけられています。
要は困ったひとなのですが、なのに二桁の政府委員を務めているので御用に見られるのかもしれません。それは単に政権側の人材不足の結果です。
御用学者のレッテルを貼りたがる人は守旧派の回し者でしょう。
もちろん政府の正しい政策には乗ります。コンテンツ海外展開策の推進やデジタルサイネージの技術開発など。最近では情報公開と民間利用を進めるオープンデータ構想には積極的に協力しています。

国会議員や官僚などに特定の政策を実現すべく働きかける手段をロビイングと呼ぶのですが、この動きに対する批判も聞きます。確かにぼくはこの1、2年、ロビイングに動いています。密室政治っぽいからよくないと見られるんでしょうね。
ぼくも自民党政権下ではロビイング反対でした。資本力と人材が豊富な強いセクターが政策を左右するためです。政治と官僚と一部の大企業とが密室で政策決定しているように映りました。だから、民間フォーラムやパネル討議を開催してアピールしたり、民間研究会を編成して情報発信したりする手段をよく用いました。
しかし、民主党政権となって半年ほど経ってから、ぼくは手段を変えました。民意を汲んで政策を作るという姿勢はよかったものの、熟議を重んじるが決議しないからです。「万機公論ナレドモ決セズ」。これでは逆に停滞する。すべき政策が明らかならば、直接、決定権者を説得するほうがいい。もちろん、オープンな議論は大事です。それを捨ててはいけない。でも、決定を他者任せにしていてもいけない。脱原発デモを見ていても感じます。デモるパワーがあるなら、そこにコストをかけるなら、ロビイングせよと。
ぼくの場合、ロビイングしつつも、それをぜ~んぶツイートしたりしてるんで、動きはオープン。だからかえって目につくんでしょうね。
日本最大最強のロビイング機関は霞ヶ関です。毎日、数百人もの官僚が永田町を歩き回っています。学者はロビイングするなと唱える人は、霞ヶ関の回し者でしょう。

もう一つ、IT業界に近いという批判。これは全く愚かな批判です。日本は産学連携が弱すぎる。特にIT分野はそこが大きな課題です。基礎研究分野ならまだしも、ITのソフトや政策のようなレイヤで、学は産の役に立てずにどうする。MITもスタンフォードもハーバードも、大学がプラットフォームになり、技術もビジネスモデルも開発しています。GoogleもFacebookも学生が、大学が生んだじゃないですか。日本の大学はこの分野で何か生みましたか?
さらに日本は、産と官が遠いのも問題です。90年代半ばの大蔵省不祥事を受けて導入された公務員倫理法以降、特に官僚と産業界とのパイプが詰まり、霞ヶ関が情報不足に陥って的確な戦略が打てない。公務員倫理法はアメリカの陰謀ではないか!? そのパイプを開く役割を学が担うこともあっていいでしょう。アメリカの大学も結構そういう役割を果たしているんです。
IT業界に近いというのは、ぼくには勲章。でも、モトローラの役員を務めるMITネグロポンテや、ニューヨークタイムスの役員に就いたMIT伊藤壌一や、Googleの役員を務めるスタンフォード大ヘネシー学長などを見ていると、まだ遠いんじゃないかと思います。
業界に近いと批判する人は外国の回し者でしょう。

加えて、慶應義塾大学にそういう人材が集中しているのがいかんという批判も。これは当たってるね。IT分野で政府や産業界と近い距離で動いている点で慶應が目立っていることは事実。だからといって、それを分散させるのはどうか。そうではなくて、東大でも京大でも早稲田でも東工大でも関関同立でも、日本でも東洋でも亜細亜でもいいので、他に高い山ができればいい。山脈になればもっといい。
日本の大学は分散を考えてる場合じゃない。国際競争の中で負け組にならないように、筋肉を増強しなきゃいけない。それはアメリカの大学だって同じこと。うかうかしてるとオックスブリッジや精華・北京が忍び寄る。
だいたいぼくは国内でのパワー分散を唱える意見に与しません。東京一極集中是正にも現役官僚ながら反対していました。NYロンパリ、北京上海、ソウルにシンガポール。東京を弱めてる場合かよ。ぐずぐずするうち、案の定、日本は沈んでいきました。
脱官僚だってそうです。官が強すぎるから倫理法なんかで縛って平衡を保つ。違う。国内的に強いセクターを弱めたら国際的に沈むだけ。そうじゃなくて、官僚=行政に比べ弱い立法と司法を強めることです。政治と裁判機能を強化すべきです。
慶應集中を批判する人は○○の回し者でしょう。(←テキトーな言葉を埋めてください。)

結論。まだまだです。こんな反論に時間使ってるようじゃいけませんね。ここから早く抜け出して、次に進みたいものです。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2012年9月5日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。