「依存と分断」のシステムを超えて(上) --- 武内 和久

アゴラ編集部

近い将来、気づいたら日本の医療システムは主要国の中で最も機能の低いものとなる。そして財政・サービスともにハードランディングを余儀なくされる。私はこのような危機感を持っている。

理由は、日本の医療を「システム」として見た時、個別課題に目を奪われる余り、システム全体の機能を強化し、発揮させるメカニズムが弱いからだ。医療システムに関わるステークホルダーが、専ら個別利益・個別解の達成に焦点を当てている間に、システム全体としての機能が脆弱となっている。住民はより便利で手厚い医療を、医療機関は報酬点数を、保険者は負担金の減を、行政は事件や摩擦の防止を、といった個別解に専ら精力を注いでいる。その結果、リソースは減耗し、システム全体にストレスが高まりつつある。


確かに、日本の医療は、世界最高水準の長寿と健康、フリーアクセス、国民皆保険を達成した点で、世界で最も成熟したシステムの1つに数えられる。だが、人口構造の変化、財政の逼迫、患者ニーズの多様化・高度化等の構造的な変化に対し、システム全体で的確に対応する発想とリーダーシップがなければ、世界の流れに取り残されかねない。

本稿では、ややマクロな視点から、「依存と分断」のシステムという視角を提示しつつ、日本の医療がシスムとして目指すべき方向性について、問題提起したい。なお、本稿は個人としての立場で執筆した。

日本の医療のシステムとしての課題を捉える起点として、3つの「罠」という形で指摘したい。

1. 課題設定の罠
1つ目は、「課題設定の罠」だ。種々の問題に直面した時、課題設定が、現行の枠組みを前提として、反射的に処理するという視点に流される傾向が強い。つまり、巨視的、構造的な観点からの課題設定が乏しく、いきおい対応策がミクロな発想に閉じ込められてしまう。

例えば、医師不足が指摘されれば医師の増員、配置誘導で対応しようとし、限られた医師のスペックの強化や他職種との役割分担、さらには受療のあり方といった視点からの課題の再構成は行われにくい。保険財政が逼迫すれば「公平」という命題によって負担分担の仕組みを導入する、局所的な負担増の導入で財源を掻き集めるといった対応で、例えば保険者の権限や競争をどうするか、医療費を過剰に利用する層への対応をどう考えるかといった視点の広がりは十分でない。

そもそも、近年の医療改革の議論の主是を「持続可能性」と設定した途端、「いかに支出を抑制し、収入を増やすか」という視点に発想が閉じ込められがちとなり、システム全体でどう対峙するかという発想がしづらくなる。

2. 思考制約の罠
2つ目は、「思考制約の罠」だ。戦後70年をかけて日本は、極めて公平性(悉皆性)と安定性の高い医療システムを確立した。この成功体験こそが課題への打ち手の幅を制約している。医療を取り巻く環境は、資源制約の高まり、ニーズの変化(慢性疾患への構造変化等)などの面で大きく変わっているにもかかわらず、依然として「既にある」ツールへの依存度が高く、革新的なアプローチへの意欲が不十分だ。法令、診療報酬、医療計画といった手段を精緻巧妙に駆使しても超えられない課題にどう対応するかが問われている。

例えば、治療実績の情報公開、医療機関の経営形態の改変、地域間競争の促進といった「不連続な」発想や手段を組み入れる環境づくりが必要となっていることを明記すべきだろう。

3. 合意形成の罠
3つ目は、「合意形成の罠」だ。医療に関する合意形成は、他の業界から見ると、複雑で非論理的という印象が一般的だ。客観的根拠や情報に基づく議論よりも、交渉による

「痛み分け」(局所的なwin–winの創出)により決着することも少なくない。つまり、対立する利害関係者の意見を足して2で割る摺り合わせの手法、いわゆるバランス感覚で乗り切ってきたとも言える。

だが、この手法は、システムとしての方向性についてのスタンスを取らないで済むことにより、利害関係者による個別解重視の傾向を助長している。リソース制約が強まる中、これまでの協調主義的な意思決定だけでは不十分になりつつある。

手堅く関係者の合意を取り付けることのみを重視し、ドラスティックなアイデアを描き切れないために、徐々にシステムが不全に陥りつつあるという認識が必要だ。

4. 医療システムに主体的に関与する「プレイヤー」
私は、これからの日本の医療は「システム」としての機能を強化するという視点が不可欠と考える。

医療システムに関与する患者(住民)、医療提供者、行政(国・自治体)、保険者、アカデミア(教育)、企業、メディアといった主体がそれぞれの役割と機能を発揮させ、進むべきベクトルを合わせ、互いに牽制するダイナミズムが必要だ。特に、医療に投じられる資源制約(パイ)を考えると、この視点は極めて重要となる。その意味で、改めて、彼らを

「利害関係者」でななく、医療システムに主体的に関与する「プレイヤー」と位置付けたい。現状では、日本に存在する医療資源(ヒト・モノ・ハコ・カネ・情報)とプレイヤーの機能が十分に開発され、活用されていないという問題意識が出発点にある。

「依存と分断」から「自律と連動」のシステムへ
1. 依存と分断
日本の医療がシステムとして十分に機能しきれていないのは、現状「依存と分断」のシステムとなっているからだ。「依存」とは、規制により新たな形態や主体の登場を抑止して予定調和を図りつつ、診療報酬、補助金による医療費という資源(パイ)の按分に依拠している構造のことだ。「分断」とは、各プレイヤーが与えられた環境と役割の枠内で、バラバラに利益(優位性)を極大化しようとする構造のことだ。そこでは、他のプレイヤーと連携、牽制する発想や、枠を自ら改変していく力学が乏しい。その結果、現場の献身的な努力がプレイヤーとしての質の向上やシステムとしての機能発揮に結びつかないという状況が生じている。

例えば、医療機関が保険者と協働して患者の受診行動をどう変えるか、企業と連携して新たな予防システムをどう作るか、といった発想はあまり見ない。端的に言えば、現在の日本の医療にはシステム内に「圧力」がないのだ。互いのサイロ(枠)に閉じこもり、いかに多くの利益(優位性)を図るかが最大の眼目で、他のプレイヤーとのゼロサムゲームが展開される。そして、自らの意思決定責任の説明に際しては、他のプレイヤーに帰責する傾向が見られる。端的な例を挙げれば、すべての問題や不利な状況は、診療報酬や規制によるものと解釈する過剰なまでの「制度依存」のメンタリティが見られる。

2. 過関与と無関与
この「依存と分断」のシステムが続いている原因は2つの背反的要素のためだ。

1つは「過関与」。日本の医療システムの発展過程の中心だった急性期医療、中でも感染症対策、衛生水準確保の発想に基づき、「公平」を主是とした医療資源の均てん化の発想の影響がシステムを今なお支配している。例えば、医療提供体制を見ても、構造設備の最低基準設定、硬直したサービス提供、そして基本的に外形的なサービス投入量に依拠した均一価格の診療報酬といった仕組みに主体性発揮の余地は制限されている。保険者を見ても、活動の自由度は諸外国に比べて薄く、割り当てられた被保険者を管理するのみで競争の余地はほとんどない。

もう1つは「無関与」。例えば医療内容や品質、医師の標ぼう科目、勤務場所、医療機関の経営については放任されてきた。例えば、医療機関の役割の選択も自由で、大病院にも多数の軽症外来、診療所でも最新医療機器を備えることがある。その費用償還も、基本的には投入した工数に応じて行われる。他方、患者も、フリーアクセスの下、どこでどれだけ受診するかは自由だ。無論、プロフェッショナルとしての医師個人の知見と技量が発揮される余地も大きいのだが、それは個人の偶発的な力量や見識に依存するものであり、システムとして埋め込まれているものではない。

3. 「依存と分断」から「自律と連動」へ
こうした「依存と分断」のシステムの結果、現象としては、医療機関や医師は、全国規模での規制の動向、診療報酬の改定率、といった点に神経を尖らせがちだ。患者は自由気ままに受診し、医師の負担も増す。こうした既存の枠組みを超えた創意工夫や質的な向上を体系的に図るインセンティブが発揮しづらいシステムとなっている。

さらに言えば、逼迫する医療資源というパイを巡り、ゼロサムゲームの構造の中で、パイの奪い合い、負担の押し付け合いに精力を注ぐ体制となっている。例えば、診療報酬が病院と診療所のどちらに手厚いか、保険者間のどこに拠出金が課されるか、公費と保険料の分担をどうするか、といった論点が主題となりがちだ。

私は、ここで提起した日本の医療システムの本質を「依存と分断」から、「自律と連動」のシステムに改変していくことが必要と考える。システム内の相互の緊張感とバランスを取るというダイナミズム(力学)が作用するシステムだ。これにより、新しい医療のパラダイムを指向することが可能となる。

換言すれば、まず「内圧」すなわち内発的な動機付け(意欲)が働く仕組みが必要だ。それぞれのプレイヤーが自ら工夫して、潜在的な機能を発揮できる環境をつくる必要がある。例えば、医療機関のサービス内容向上や品質評価への取組を促進する仕組み、保険者機能の向上や差別化、被保険者の選択を可能とする仕組みなどがまず考えられる。新たな変化や課題に対し、各プレイヤーが主体的に新たな形態や行動原理を産み出すことを邪魔しないことが肝要だ。

次に「外圧」すなわち外発的な牽制が必要だ。システム全体として非効率や不適当なものを牽制・淘汰するダイナミズムを産み出す必要がある。そのためには、例えば、徹底した医療成果の情報公開、共有、活用を図る発想や、民間企業の医療・保険サービスへの参加といった方法も効果的な端緒となり得る。

武内 和久(たけうち かずひさ)
マッキンゼー&カンパニー