日米の教育観の差に驚く─「ペーパーテストをやめたら大学は崩壊する」を読んで

北村 隆司

感情的な個人攻撃の常見陽平氏の「茂木健一郎よ、ペーパーテスト批判はやめなさい」は論外として、池田先生の茂木批判には、米国の入学制度への誤解が見られるので、意見を述べたい。


米国の大学入試は、高校の成績書、SATなどの全国共通テスト(日本の統一テストに当たる)、エッセイ、個人面接の四つのプロセスで合否が決められ、大学が個別にペーパーテストを行うと言う話は耳にしたことがない。

それでも、毎年行われる世界の優秀大学ランキングの上位は米国の大学が圧倒している。

アジアの教育国は、日本同様のペーパーテスト万能主義で、中高教育ではこれ等の国が世界の模範とされ、これ等の国に学べと言う声は米国でも強い。だが、残念な事に最近の日本は、これ等の「アジアの優秀教育国」のランクからも外れてしまった。

処が大学になると様相は一変し、アジアの高校優等生の圧倒的多数がアメリカの大学留学を希望している。

体質の同質化を極度に嫌う米国では、応募者の出身地により統一試験の成績の評価にも差を付ける事も珍しくない。大学院でも、同じ大学の出身者が2割を超えると問題になる位だ。

皮肉な事に、優秀とされる日本の官僚の公費留学生も、優先枠を利用して入学した集団で、日本的なペーパーテストを課されたら、その大半が入学出来ないか、卒業出来なかったに違いない。

これは、良し悪しと言うより、国家が教育に関与する事をタブーとする米国と、教育現場では息も出来ない程、教育の国家管理が強い日本の教育観の違いであろう。

私に言わせれば、入試方法は各大学が自分の教育理念に基つき、大学と学生の将来をかけて決めれば良い事で、第三者が結論を押し付ける問題ではないと思っている。

ブッシュ・ジュニアの大学入学は、ブッシュ親子のみならずルーズベルト大統領、ケネデイー大統領も活用したLegacy Admission Systemと言う、大学に貢献のあった卒業生の子孫に与えられた優先入学枠を活用した物で、池田先生の「金を積んでハーバードに入れる」と言うコメントは誤りである。

日本の様に名刺と出身校で人間の価値を決める習慣のない米国では、大学のブランド価値も低く「金を積んで入学」する馬鹿はいない。

Legacy Admission による優先枠は、1930年代にはアイヴィースクールの入学生の40%近くに達したが、倫理にもとるなどの異論が増し、10%台に下がったと言われている。

皮肉な事に、Legacy Admission枠が減った分だけ「少数民族」や「運動選手」の優先枠が増えた。優先枠の優先度を1600点満点の統一試験に対する加点に換算した最近の統計を見ると :
黒人枠: +230、運動枠:: +200ヒスパニック枠: +185、Legacies枠: +160
となっており、どの枠の対象にもなり難いアジア系は逆に50点も損をしている現状である。

これも、日本的な正義から見れば倫理に反する習慣だが、これ等の優先枠により、社会が得をした例も沢山ある。

ヒスパニック優遇枠でプリンストンに入学したソニア・ソトマイャー最高裁判事は、当初は大学側が劣等生用に設けた補習授業を受ける程であったが、卒業時はスンマ・カム・ラウデと言う最優秀成績者の称号を受けて卒業している。

運動枠で入学した学生からも、多くの学者、経営者、医者、弁護士、政治家が輩出された。

具体例を挙げれば、故バイロン・ホワイト元最高裁判事は、大学卒業の際は全米の英才から選抜されるローズ奨学生に選ばれオックスフォードに留学し、帰国後エール・ロースクールに進学したが、貧困の為,一時休学してプロフットボールの選手として金を稼ぎながらロースクールを首席で卒業する俊才であった。

又、上院の良心と言われたブラッドリー元上院議員も、入学したプリンストンの授業について行けず,同室のダン・沖本(現スタンフォード大学名誉教授)に助けて貰ったと述懐している。

その後彼は、プリンストンを最優等で卒業し、ローズ奨学生に選抜され、オックスフォードに留学後、プロバスケットで大活躍し、チームのリーグ優勝に貢献した経歴の持ち主である。

アメリカン・フットボールの名誉殿堂入りした、名選手アラン・ページも運動枠でノートルダム大学に入り,ミネソタ・バイキングで活躍しながらシーズンオフにロースクールに通い、現在では黒人がごく小数のミネソタ州の最高裁判事として活躍している。

入学選抜に当たり、卒業後の社会や大学への貢献の可能性も選考基準に入れる米国と、受験時点での知識の量を確認する日本式選抜の距離は地球と月の距離より遠い。

何処の国でも優先入学枠への批判は多い。然し、欧米で受け容れられて来た優先入学制度が無かったら、アインシュタイン、ジョン・ナッシュ(映画「ビューティフルマインド」のモデルでノーベル経済学省受賞者)、車椅子の物理学者として有名なステイーブン・ホーキング,英国宰相ウインストン・チャーチル、世界の投資家ウオーレン・バフェットを始めとする、驚くほど多くの異才が、この世に出なかった事は確かである。

ノーベル賞受賞者の若き頃の境遇を調べると、日本の大学の頂点とされる東大の求める選定基準に満たない人の多さに驚かされる。ノーベル賞が教育の目標ではないにしても、世の中に貢献できた筈の人物が、東大的選考基準であったら、見殺された事は否定出来ない。これが、日本で一流、世界で三流の東大の現状である。

世界のノーベル賞受賞者の25%を占めると言われるユダヤ人受賞者の中に、戒律の厳しいウルトラオーソドックスの宗派に属する人物が皆無で、アラビア人のノーベル科学部門受賞者に、回教徒がゼロである事実は、教育の過度な統制が持つ危険性を示している。

人間には境遇の違いや花の咲く時期の違いもある。大学の教育方針は各大学の価値観で決めるべきもので、国の定めた目的や水準で決めるべきでないと考える私は、ペーパーテストの有無が大学存立に関係あるなどとは夢にも思わなかった。

米国の大学は、分野を問わず卒業後に社会に寄与できる人物を求め、受験者は自分の特性を活かしたアメリカンドリーム実現の手助けになる大学を求める。

米国の有力大学の基金を見るとハーバード( $26,035,389,000) エール($16,103,497,000)プリンストン($13,386,280,000)等、巨額に上るが、その多くが「優先枠」の恩恵に浴して入学した卒業生の寄付金で、この基金が「奨学金」「学校設備」「優秀教授の招聘」「研究補助金」の基本となっている事実を見ると、ペーパーテストの有無が大学の存亡を決めるとか、日米を対立軸に見る池田先生の教育観には同意出来ない。

2012年9月26日 北村隆司