橋下徹氏の「日本教」

池田 信夫

多くの人が橋下徹氏を支持する一つの理由が、日本の「コンセンサス社会」を打ち破って「決定できる民主主義」を彼が主張し、それを大阪で実行してきたことだろう。しかしそれは彼の手の内に入る地方行政だけのことで、軍事・外交では「尖閣諸島も竹島も北方領土も国際司法裁判所(ICJ)で審理しろ」という超ハト派に変身して驚いた。

主権国家同士、主張がぶつかり合ったら、国際司法裁判所で法と正義に基づいて解決する。法の支配を尊重する。この姿勢をしっかりと打ち出しながら、それでも国際政治においては生身の力が必要なことも厳然たる事実だ。法の支配という理想を抱きつつ、現実を直視する。

まず事実認識として誤っているのは、ニューズウィークでも書いたように、国際社会には法の支配はないということだ。国家主権は「それより上位の権力のない権力」だから、定義によって主権国家を拘束する上位の法はなく、国際的な法の支配はありえない。世界政府や世界警察ができないかぎり、中国が判決を拒否したらおしまいなのだ。

次にこれは手続き論としてナンセンスだ。ICJは当事国に審理に応じることを義務づける強制管轄権がないので、中国もロシアも審理には応じないだろう。それ以上は、日本が国際社会に「法と正義に基づいて解決しよう」と訴えたところで、何の意味もない。彼は「個人でも悪いところは悪いとしっかり認めれば言いたいことはきっちり言える。理由なき批判にも猛反発できる。国でも一緒だよ」というが、こんな話は日本人にしか通じない。

山本七平は「日本では同じ人間だからという言葉が法律より強い拘束力をもつ」と指摘し、こうした信仰を「日本教」と呼んだ。これは教典をもつ宗教という意味ではなく、Christianityを「キリスト教」と呼ぶように「日本人であること」を日本教と呼んだのだ。

この底には「人間とは、こうすれば相手もこうするものだ」という確固たる信仰が相互にある。[・・・]ここには、日本人が絶えず口にする「人間」「人間的」「人間味あふるる」といった意味の人間という言葉を基準にした一つの律法があるはずで、日本人とはこの宗教を奉ずる一宗団なのだ(『日本人とユダヤ人』p.96)。

橋下氏は「中国人も同じ人間だから話せばわかる」と思っているのかもしれないが、残念ながら中国は「敗戦国が戦勝国の領土を占領するなどもってのほかだ」と主張している。こんな国を相手にして「第三者の裁定で法と正義を実現する」ことは不可能なのだ。

橋下氏は地方都市の首長としては優秀だし、カリスマ性も実行力もあるが、国家のコア機能である軍事・外交については素人だ。国政からは撤退し、大阪で「一国二制度」を実現してほしい。軍事は米軍にアウトソースすればいい。