2012年2月14日「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用などに関する法律案」(通称マイナンバー法案)が閣議決定され、国会に提出された。以降、国会の場において一度も正式な審議がなされないまま、増税法案をめぐる民自公の三党合意とその後の政局の流れの中で、成立せずに先送りのまま9月8日の閉会を迎えた。10月中旬以降の臨時国会で、継続審議されるという話も伝え聞くが、果たしてこのままの形で成立てしまうのだろうか?現在先送り中のマイナンバー法案は、8月4日から3日間連続でアゴラ投稿で解説した通り(「マイナンバー法の真実(全3回)」、『マイナンバー制度が何を目的とした制度なのか?その目的が不明確である』状態のままであり、大きな問題を内包している。
簡単に言うと、マイナンバー法案には、「社会保障・税の公平化・効率化」「電子政府」「身元証明」に加えて「プライバシー保護」が十把一絡げに内包されてしまったため、その目的が不明確になり、制度設計が迷走状態となってしまっている。その結果、国民の税金を無駄にシステム費用として投入してしまうことになってしまうであろう。一言で言えば、課題「てんこ盛り」の状態なのである。どうしてこんな状態になってしまったのかと言えば、当然、既得権益者による利益誘導が根底にある訳だが、それに加え、制度目的が広がり過ぎたために、議論が混乱し、断片的な情報や誤解がマスメディアや有識者を通して報道され、国民に正しい情報が伝わっておらず、きちんとした判断が困難になっていることが挙げられる。本稿では、巷に蔓延しているマイナンバーに関する誤解を正していきたい。マイナンバーで本当に解決できること、すべきこととは何なのか。これを明確にしていかないと、マイナンバー法はその遂行にあたって、国の財政を改善するどころか、国民の税金を無駄に投入することになってしまうだろう。
今週から10回にわたって連載していく予定であるが、本稿では、その第1回目として、「消えた年金問題とマイナンバー」に関する誤解について解説する。次回以降は、「震災時の本人確認とマイナンバー」「プライバシー保護とICカード」「高齢者所在不明問題とマイナンバー」「米国SSN(社会保障番号)とマイナンバー」「生活保護不正受給問題とマイナンバー」「給付付き税額控除とマイナンバー」「身元証明書とマイナンバー」「マイナンバーの配布手段とICカード」「番号の共通化とシステム費用」のテーマについて検証していきたい。
マイナンバーに関するシンポジウムやマスコミ報道等で、「消えた年金問題は、マイナンバーがあれば発生しなかったし、マイナンバー制度構築でこの問題を解決できる。」といった本当にいい加減な議論がなされている。システム開発を一度でも経験された方なら誰でも分かる話であるが、消えた年金問題とマイナンバーは全く関係のない話だ。
そもそも消えた年金問題とは、旧社会保険庁が、1997年の基礎年金番号の導入を契機として、過去の記録の整理統合をしようとしたところ、誰のものだかわからない年金記録約5000万件の存在や、納付していたはずの年金保険料の記録がデータベースに存在していないなどが明らかとなり、それにより、本来であればもらえるはずの年金を受給できていない、あるいは、減額されていた、という問題である。原因として、紙の記録をデータ入力する際の誤入力や曖昧さ、婚姻、引越などによる姓名や住所の変更を反映するためのデータ更新の不備等が挙げられている。また、外字により、姓名のマッチングが困難であるのも一因と言われている。
では、マイナンバーがあればこれらの年金問題は起きなかったのであろうか。元々年金保険料の管理においては、厚生年金、国民年金など、その種類ごとに年金番号が割り当てられていた。これらの番号をキーとした、ごく普通の年金管理システムを構築し、きちんと運用していれば、氏名に外字が存在したり、同姓同名が存在したり、結婚したら姓が変更になることで、データのマッチングができなくなるようなことは起こらない。その証拠に、銀行や証券会社のシステムで、預金の記録が分からなくなり、金融資産が消えたとの話は聞いたことがないであろう。単なる行政とシステム開発者の責任転嫁の言い訳でしかない。
また、転職による厚生年金の異動や、就職、退職等による国民年金・厚生年金間の異動により、異なる番号体系に移動した場合であっても、当然それは制度上想定されていたものであるのだから、きちんと設計・運用されたシステムであれば、複数の年金番号でもその履歴を追っていけたはずである。確かに、個人に不変かつ年金間で共通の番号があれば、システム設計・運用はシンプルになり、間違いは減るのだが、まさしくそのために、1997年に各年金制度に共通の基礎年金番号が導入されたのである。にもかかわらず、また新たにマイナンバーを設けたところで、消えた年金問題を解決できるわけではない。宙に浮いた記録にマイナンバーを紐付けようがないし、消えた年金記録は戻ってこない。つまり、今更、この問題の解決のために、新たな番号制度は不要なのである。
マイナンバーがあれば消えた年金問題が解決するという意見は、裏返せばマイナンバーがなければ銀行や証券会社に預けている個人の金融資産が消えてしまうと言っているも同然である。
こんなに簡単に分かるテーマですら、間違った議論が政府の有識者会議の下でされ、マスコミを通じて国民に報道されている状態である。こんな環境下で作成されたマイナンバー法案は、もう一度原点から議論し直す必要がある。
第1回では、一番簡単で分かりやすい「年金問題」に関する誤解について触れた。次回以降は、より踏み込んだテーマについて解説していきたい。これら全てについて言えることは、政府は、国民に対して、表向きは、「社会保障・税の一体改革のためにマイナンバーが必要である」と説明しながら、そのマイナンバー法案の中に、「マイナンバーでなくても実現できること」、「マイナンバーでも実現できないこと」を詰め込んでいるのである。すなわち、『国民にとって何を目的にマイナンバー制度導入を検討するのか』が不明確なままである。それらを冷静に分析することで初めて、マイナンバー法案の本当の姿が見えてくるはずである。
※拙著「完全解説 共通番号制度」2012年4月2日発刊が増刷となり、やっとamazonで定価で買えるようになった。マイナンバー法案について知りたい方、一読いただければ幸いである。