40歳定年制は悲惨な結末になりかねない --- 岡本 裕明

アゴラ編集部

野田首相が議長を務める国家戦略会議で「フロンティア構想」なるものを7月に発表し、その中に40歳定年制が盛り込まれています。少し古いニュースですが、今日はこれを考えてみたいと思います。

趣旨は皆が75歳まで働ける為に40歳でリセットさせる仕組みを作る、という事だそうです。ただ、私はひねくれて理解しておりまして、首を切れない日本の労働社会において定年を会社人生の半分の段階で一旦仕切りラインとし、経営側に譲歩する考え方ではないかと感じています。


さて、この効果、様々な見方があるかと思いますが、基本的には日本の労働市場のみならず、日本の社会を一変させることになる可能性があります。それはどんなに頑張って一流の大企業に入ってもコミットされるのは従来の約43年程度(22歳から65歳)から18年に短縮されるのです。そこで頑張って成果を残さなければ残りの約半分はないかもしれないし、もしかしたらそこから先は嘱託的な扱いになるかもしれません。

問題点は企業側にも被雇用者側にも存在するはずです。

まず、企業に入ってくる社員の査定が難しくなり、社員は全体的に会社に刃向えない状態になりやすいと思います。つまり、企業にとって企業の成長促進にならない可能性が考えられます。もちろん、激しい競争で会社にとって全体的にプラスになる、という見方も出来るかもしれませんが、それはそれで足の引っ張り合いで社内が一丸にならない弊害を生むこともあるような気がします。

被雇用者からみれば40歳という人生で最も充実し、会社、家庭との両輪というところで不安感を背負わなくてはいけないのはどうでしょうか?つまり、出来が悪いと自己認識している社員がいたとしたら40歳の査定で首を差し出して待っていなくてはいけない事になります。それはあまりにも悲惨ではないでしょうか?

企業側が首を切りたいという切望をこのフロンティア構想ではうまく取り入れたと思っているような気がしますが、私は違うと思います。以前にも書きましたが、首を切る仕組みを幹部候補と称される総合職の社員だけに付保すべきなのです。イヤなら幹部候補に応募しなければ良いだけの話です。つまり、努力するものだけが勝ち残れる仕組み、すなわち、これが日本を再生するリーダーとなっていくのです。

私はまるで弱肉強食のようなことを主張していると思われるかもしれません。そうではなく、100人引っ張れるリーダーが100人いたら1万人が救われる、ということを言いたいのです。世の中にはどんな集団、組織にもリーダー役がいます。学級委員、町内会長、ごみ当番のリーダー役、ボランティアの班長…など常に引っ張る人と引っ張られる人でバランスしているのが社会の仕組みです。これは公平、不公平という話ではなくて、向き不向き、好き嫌いなど個人の性格を含め、様々な人がいるということなのです。

つまり、リーダーになる人はリーダーとしてふさわしくなければ交代させるフレキシビリティは必要だと思うのです。

この論理からすれば40歳という人生の折り返し地点と会社人生の折り返し地点で大きな岐路に立たせるのは酷だと思えて仕方がありません。75歳まで働くという仕組みとはまったく別の問題である気がいたします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年10月11日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。