「アニメ産業を盛り上げよう」と言うけれど

常見 陽平

少し時間が経ってしまったが、日本経済新聞の2012年10月28日付の社説は「アニメ産業を盛り上げよう」だった(日経電子版はリンクを張っても見れない可能性があるので、会員の方は検索して頂きたい)。内容はタイトル通りで、「日本の好感度向上につなげたい」「アニメは周辺市場を活性化させる」「海外にも広げたい」「この産業をうまく育てたい」などだった。あまりにも一般論で、総論には同意せざるを得ないものの、各論では何を言いたいのか分からなかった。

アニメ産業を盛り上げるために必要なことを徒然なるままに考えてみる。


職業柄、学生や若い社会人に会う機会が多いのだが、これから世界市場で伸びる産業(伸ばすべき産業)として、アニメ産業をあげる声をよく聞く。

「日本のアニメは世界を席巻している」
「コンテンツ立国日本になるべきだ」
「もっともっとクールジャパンでいこう」
日経の社説がふれたように、総論では誰でもこんなことを言う。

ただ、実際の問題として、次の「そもそも論」があげられる。

「海外で日本のアニメをいかに流すか?」
ということである。

・放送コード上や文化の違いから、海外で流せない。
・版権元(キャラクターの権利の持ち主)の意向として流したくない。
・スポンサーをどうするか?(あるいは、どう付き合うか?)
・著作権の管理をどうするか。
などが問題である。

例えば、『機動戦士ガンダム』は、放送から30年以上経った今でも新作が作られ、言うまでもなく人気があるアニメだ。現在も関連ビジネスの売上は年間400億円以上だと言われている(そういえば私も先月『僕たちはガンダムのジムである』という本を発表したので興味のある人は手にとって頂きたい)。ただ、このまま放送できない国も多いだろう。ナチスを想起させる描写がある、戦闘シーンが多い、未成年が死ぬ、銃口を画面に向ける、内容が難しすぎるなどの理由である。結果として、売上のほとんどは日本国内である

日本で人気を博しているコンテンツの中には、版権元の意向として、「理解されるかどうか分からない」「コケるのがこわい」などの理由から、あえて海外展開していないものもある。ここは版権元の意向を尊重したいところではある。なぜなら、キャラクターというのは版権元にとっては「大事な子ども」だからである。「里親」的な立場であるスポンサーが過剰に介入してもおかしな話になる。

この件に関してはスポンサーとの付き合い方をどうするかも課題だ(せめぎ合いとも言う)。玩具などを売るために、スポンサーは海外に出たくても、版権元はNOという可能性もある。

つまり、課題は「いかに正式かつ安全なルートで海外で放送できるか?」ということになる。

もちろん、日経の社説で触れられているとおり、明るい兆しはある。この社説で知ったが、12月には『巨人の星』を再制作したものがインドで放映されるという。舞台もインドなのだそうだ。インド人がテーブルをひっくり返したらどうするのか、成長著しい国の若者が大リーグボール養成ギブスの餌食になったらどうするのかと懸念材料も多いのだが(もちろん、ジョークだ)。なるほど、再制作か。このような、海外で放送するための地道な努力を期待したい。

この社説は

大衆文化を育てたのは、戦後日本の自由な空気だ。主役は企業、創作家、消費者。官はサポート役。この分担を忘れず、せっかく芽吹いた産業をうまく育てたい。

という言葉で締められている。

実際はちょっと違っていて、「自由な空気」で進んだわけでもなく、版権元とスポンサーのせめぎ合いが上手く作用したときなどに奇跡が起こっているのであるが。そして、「官はサポート役」というのは同意だが、具体的に、口は出さずにお金を出す、海外進出のための知恵を出す、コネで協力するなどのサポートが必要だと言えるだろう。版権元の中には海外進出に積極的ではない人たちもいる。彼らをどう説得するかというのも課題だ(って、これは口を出すことになってしまうわけだし、版権元の意向を尊重したいのだけど)。

というわけで、官には具体的なカネ、チエ、コネのサポートを期待したい。

それにしても、インド版『巨人の星』は、「巨人の星をつかむ」ごとく、ヒットするのか。期待することにしよう。