豊川の立てこもり事件で、犯人は「野田内閣の退陣」を要求したそうだ。居酒屋で飲んでるときに店内のテレビでこのニュースを見てたんだが、みんな失笑したり首を傾げたりしていた。筆者も最初は「なんという情弱」とバカにしていた。しかし、よく考えれば、犯人の要求を簡単に笑えるんだろうか、という疑問符がムクムクとわきあがってきたのである。
世論調査や新聞の論調などをみると、総選挙で民主党が負けることが「自明」のような内容に終始している。この傾向は民主党が2010年の参議院選で惨敗してからずっと同じだ。民主党が衆院選で負けるのは折り込み済みで、すでに選挙後の政権について解説しているマスメディアも多いし、為替や株なども自民党への政権交代を見越した動きを示している。
鳩山政権の沖縄問題における迷走ぶり、小沢氏らの「政治とカネ」問題、「バラマキ」批判、原発事故を含む東日本大震災への対応、景気対策、いわゆる「脱官僚」の失敗……。敢えて消費増税へ踏み出しても有権者の支持を得ることはできず、ポピュリズムのそしりをぬぐいさることもできない。
このままの情勢では民主党が負けるのは必至、というわけなんだが、投票日まで三週間あまりとなり、少し風向きが変わってきているのではないだろうか。この変化の背景には、有権者が持つバランス感覚の揺り戻し、というのもある。いわゆる「第三極」にマスメディアの報道が集中しているせいもあり、票が割れそうになってきている状況もありそうだ。
とりわけ、民主党に代わる政権党としての自民党に不安を覚える有権者が出てきているのは確かだろう。金融政策などの安倍総裁の発言にみる「迷走ぶり」もある。「国防軍」創設や憲法改正など保守的な色の強い自民党の公約に首を傾げる人もいそうだ。公約には相も変わらず公共事業への「バラマキ」が書かれ、財政危機をまねいた政権担当時代の反省の「は」の字もない。
振り返れば、2009年の政権交代で有権者が民主党を選んだ背景には、自民党にお灸を据える、という目的もあった。一度、民主党へ政権を渡し、その間、自民党には再び政権与党へ返り咲いたときのためにそれまでの失政を反省し、国民目線の政治ができる政党に生まれ変わってほしい、という有権者の気持ちがなきにしもあらずだったのである。
ところが、自民党は民主党との違いを際立たせようとしたのか、きわめて国家統制色の強い保守的な政策を掲げてきた。お灸を据えたつもりが効果なく、むしろ以前より強面の人相で登場してきたというわけだ。石原慎太郎氏という右寄りの政治家がただでさえ「第三極」形成へ策動している状況で、放埒に慣れきった有権者が自らの自由を手放す政治勢力の側へ身を寄せるとは考えにくい。
公明党と右傾化を強める自民党の関係も微妙になっていくかもしれず、連用制を取り入れた選挙制度改正がなされれば公明党は自民党から離れていくのでは、という見立もある。となると民主党と公明党がくっつくかもしれない。さらに「第三極」の動き次第では、民主党と他党との連立政権が野田氏を首班として続投する可能性だって皆無ではないのだ。
先日の米国大統領選挙では接戦との予想を覆し、オバマ氏が勝利した。共和党支持者の中には「米国民がこれほどリベラルとは思わなかった」と嘆く人もいる。この結果については「ロムニー氏の化けの皮が剥がれた」影響は無視できない。
日本の有権者がどういう投票行動を取るのか、これまで通りの結果予想がこの先、三週間持続するのか。安倍総裁と自民党は「バケの皮」がはがされず、投票日までもっていけるのか。
豊川の立てこもり犯の「野田内閣は総辞職せよ」という要求は、こうしたことを筆者に気づかせてくれた。自民党の中の人たちは「余計なことを」と嫌な顔をしたかもしれないが、まさにやぶ蛇である。単なる「情弱」でないとすれば、どんな思想信条をもっているのか不明ながら自民党の応援団であろう犯人が抱いた焦燥感を想像すると興味深い。