しかし、そうしたものは本当に今回の総選挙の争点なのだろうか。仮に、3・11が起こらず、原発の事故も起こらなかったとしたら、選挙の争点はもっと違ったものになっていたはずである。憲法の改正も、手続き自体が容易でないし、周辺諸国からの反発は必至で、実現は難しい。
今回の選挙で特筆すべきは、自治体の首長、とくに都市部の首長たちが積極的に選挙にかかわっていることである。なかでも、もっとも注目が集まっているのが、大阪府知事から大阪市長に転じ、大阪維新の会を組織した橋下徹氏である。
大阪維新の会は今もあるが、国政選挙に臨むために日本維新の会が誕生したことで、大阪維新の会の方は陰が薄くなってしまった。しかし、大阪という日本で第二の大都市で、大阪維新の会が誕生し、地方議会で多数派を占めることになったことには重大な意味がある。その点を教えてくれるのが、中公新書の新刊、砂原庸介氏の『大阪―大都市は国家を超えるか』である。
砂原氏は、大阪が今日の危機的な事態に至るまでの歴史的な過程を丹念に追いながら、市政と府政との対立、首都として優遇されてきた東京都に比較しての大阪の国政における軽視などを指摘し、橋下氏が登場する必然性を明らかにしている。
東京に生活する人間は、大阪の事情に詳しくない。また、さほど関心をもったりはしない。そのために、なぜ「大阪都構想」が出てきたのかも理解できていないが、東京都の特別区に議会はあっても、大阪市の国は議会はない。それだけでも、二つの大都会には大きな差があるわけである。
ではなぜ大阪は、これまで東京に比べて軽視されてきたのか。決定的なのは、長く政権の座にあった自由民主党の体質である。自民党は、農村に基盤を置き、公共事業などを通して、その振興につとめてきた。議員も、地方を選挙区とする者の方が地盤が安定し、当選回数を重ねることができたので、有力議員は大都市からは生まれず、地方からばかり生まれてきた。そのために、首都としての東京の発展は国益として推進するが、大阪などは優遇されない状態が続いてきたのである。
ところが、そこに変化が起こった。砂原氏は、その変化を次のようにまとめている。「しかし、1990年代以降の制度変化は、人口が集中する大都市の政治的な価値を高め、国にとってもその要求を無視することが難しくなっている。これまで『搾取』されてきた都市の有権者が、彼らを代弁する政治勢力に期待しやすい環境が作り出されてきているのである」。このなかの大都市や都市を大阪と読み替えてみると、より分かりやすい。「代弁する政治勢力」がまさに大坂維新の会なのである。
これは、大阪にかぎらず、東京を除く他の大都市についても言えることである。あるいは、東京も同じで、これまでの政治は、大都市の住民の利益になるような政策を十分には打ち出してこなかった。まして、都市住民を対象とした財政的な援助などほとんど行われてこなかった。
その点では、民主党が政権交代をめざして、「子ども手当」を打ち出したことで、はじめて都市住民は政治の直接的な恩恵を被ることができたと言えるかもしれない。未来の党が、子ども手当にこだわるのも、そこがあるからである。しかし、子ども手当は財政基盤を確立することに難しさを抱えている。
大阪維新の会は、日本維新の会へと発展し、あまりにも急に国政にかじを切ってしまったことで、本来の役割を忘れてしまったようにも見える。最初は、国政に出ることで、大阪都構想を実現するというところに力点があったが、しだいにそれは後退し、発表された政策もまったく違うものになってしまっている。
日本維新の会になっても、本来なら、大阪都構想に徹底してこだわり、東京以外の大都市に権限を委譲し、その発展を可能にすることで、日本社会に活力を与えるという政策を打ち立てるべきだったのではないだろうか。その政策には必然性もあるし、説得力もある。
戦後、地方から都市への大規模な人口移動が起こり、大都市が発展した。ところが、選挙区の区割りもあり、政治は大都市住民の利害を反映するものにはならなかった。日本の政治が停滞している原因もそこにある。いかに大都市の発展を可能にしていくのか。それは、重大な争点であるはずである。大都市が発展し、日本社会に活力が生まれなければ、地方の振興も進まないのではないだろうか。
島田 裕巳
宗教学者、文筆家
島田裕巳の「経堂日記」