政党のマニフェストは科研費申請書に同じ、選挙カーより双方向議論を

MATSUMOTO Kohei Ph.D.

本記事は拙ブログ「(もう少し詳しく)政党のマニフェストは科研費申請書に同じ」やさらに以前(5年前)の記事「サイエンティフィックなマニフェストを望む」からもう少し詳しく加筆推敲したのでこの場を借りて主張したい。


まずこのタイトルにある「科研費申請書」だが、研究者の方ならば非常に馴染み深いもので研究費獲得のための文科省が主幹になっている申請書である。研究するための費用を頂くのでわかりやすく言うと額が多ければ多いほど、各研究分野の科学的バックボーンに基づいた多くの書類を必要とする。
その中身であるが、大雑把に以下のとおりである。

(1)「研究目的」
(2)「研究計画・方法」
(3)「これまでに受けた研究費とその成果等」
(4)「研究経費の、妥当性・必要性 」

さて、この項目であるが、
(1)研究目的はそのものズバリでどんな研究をしたいのか、である。科学研究は常に新規性を伴うので、申請者の分野でこれまでどんな研究がなされたかという到達点と、申請者はその到達点に対してどのようなブレイクスルーを行うのかを論理的に記述する必要があり、この部分は申請書の最も肝の部分である。サイエンティストなら論理的記述は苦にしないだろうが、従前の拙記事「脱ゆとり教育から論理思考的教育へ」のように論理的に理解できないと訓練されてこない人間にとっては難解に思えるだろう。
(2)研究計画・方法はその研究目的に対してどのようにアプローチを試みるのか、各々の調査、研究段階においてのデッドライン等を具体的かつ科学的に書く必要がある。
(3)これまでに受けた研究費とその成果等、は読んで字の如くであるがこれまでどのようなブレイクスルーという実績を行なってきたのかを見る。
(4)研究経費の、妥当性・必要性、はその費用内訳に対しての妥当性を述べる必要がある。過不足はないか、何故その科学機器を購入するのか、真に必要なのかを述べる。

このようにして研究費獲得のための評価が行われ、獲得の暁にはその計画にそって各々のサイエンスを着実に実行に移していくわけである。
今回言いたいのは政治家の方にもこのマニフェストを科研費申請書の雛形に落としこみ、それを評価するシステムを是非構築していただきたいということである。すなわち、

(1)これまで各政治家はどのような政治活動をしてきたのか、今後どのような理由でどのような新しい政治を行いたいのか、
(2)またその政治をどれくらいの期間で成し遂げたいのか、その政治手法は日本や地域社会、ひいては世界にとってどれくらいインパクトを生み出しうるのか、
(3)一方でこれまでどのようなマニフェストでどれくらい達成できたのか(定量的に)、その個人、政党のフィロソフィーにおける継続的な政治においてそれは妥当なものであるのか、
(4)どれくらいの費用がかかるのか、その国家や地方予算に対する妥当性、本当に必要か?実現可能か?

このように全く同じ型で科研費申請書に落としこむことが可能である。
論理的に述べることによって感覚、私情や感情を挟むことなしに国民一人一人が論理的定量的に評価可能となる。科研費申請評価を感覚や私情で評価したら問題だ。政治も同じように感情で評価する事は将来悲劇を生むだろうことは歴史が証明している。それと同じ事である。このようにして科研費申請書≒マニフェストの政党版ができる。同時に個人では何ができるのか、したいのか、という個人版も作ってしかりである(実はこれが重要であるが、また別の機会に述べる)。そしてこれらをたたき台にするべきである。

まだまだ科学的、論理的ポイントビューではなく感情や空気が支配する国「日本」で上記は未来の日本において獲得すべき重要事項である。一部の政党は実施しつつあるようだが、全体としてはまだ満足のいくシステムとはなっていない。いまだに選挙前の連呼する選挙カーが最も典型的で恥ずべきものである。論理的に説明できるなら連呼などせず、パソコンにプロジェクターを繋げてその場ですぐにでも筋の通ったプレゼンテーションが出来るはずである。
繰り返すが上記のような「雰囲気」が支配するのではなく、何をやったか、これから何をしたいのか、論理は通っているか、等を行う、見るべきであり、そのリテラシー向上を願う。

松本公平(MATSUMOTOKoheiPh.D.,Geoscientist)
Twitter: @MATSUMOTO_K_PhD
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