総選挙後、国民は何を考えるべきか?

松本 徹三

衆院選の結果は大方の予測の通りだった。自民党が少し勝ちすぎ、民主党が少し負けすぎたのは、私としては少し残念だったが、止むを得なかったと思う。民主党は、「右傾し過ぎの自民党」や「維新の会」を牽制する為に、突然耳慣れない「中道」という言葉を持ち出してみたり、「自民党が曖昧にしているTPP」を前面に出そうとしてみたり、必死にキャッチフレーズを模索したようだが、この期に及んでは、結局は無駄な足掻きでしかなかったようだ。


先の衆院選で自民党が大敗した理由としては、「民主党のバラ撒きマニフェストに国民が乗せられた」というよりは、「自民党の長期政権に倦んだ国民が変化を求めた」事の方が大きいと私は見てきたが、今回も、「もっぱら『景気刺激策』を強調した自民党の経済政策に国民が魅力を感じた」というよりは、「万事に稚拙さが目立ち、結局は何も出来なかった民主党に比べれば、まだ自民党の方が頼りになりそうだと国民が感じた」事の方が大きかったのではないかと思っている。

総裁選直後の安倍さんのはしゃぎすぎの言動を見て、不安を感じたのは私だけではなかったと思うが、衆院選後は、落ち着いて現実的な話をしているので、少しほっとしている。「選挙では敢えて『良識派』は重視しないが、現実の政治では『良識派』を重視する」というのが、長期政権の秘訣だと聞いた事があるが、成程そうなのかもしれない。もしそうであれば結構な事だ。

選挙上手の小沢一郎さんも、今回ばかりは手も足も出なかったようだ。実質「小沢党」だった「未来の党」は民主党以上の惨敗を喫したが、これは、「『原発反対』『増税反対』と連呼していれば人気が出るだろう」という安易な民心の読みが、完全に外れた事を意味する。「護憲」勢力の全般的な退潮と併せて、これを「国民の右傾化」と読み解く人もいるだろうが、私は、むしろ、「多くの国民は、思われている以上に賢く、空疎なキャッチフレーズより『現実解』を求めている」と解するべきだと思っている。

「維新の会」も「みんなの党」も、そういう意味では、未だ「キャッチフレーズの党」であり、具体的な政策、特に経済政策については、何を考えているのかよく分からない。今後の国会運営において、これらの党の人達が経済政策についてどのようなスタンスを取るのか、具体的には、どのような政策はサポートし、どのような政策は阻止しようとするのかは、これからよく見極めていくしかない。

経済政策については、つい最近まで「政治責任のある政権党」だった民主党の今後の動きが大変気になる。彼等は、少なくとも最近までは「財政規律」に最も意を注ぎ、その為に、敢えて「選挙対策として自殺行為」とも言える「消費増税」にまで踏み込んでくれたのだから、自民党としてはこんなに有難かった事はない筈だ。それならば、民主党としては、この見返りに、将来の財政破綻につながりかねない「公共投資の行過ぎ」の抑制ぐらいは、せめて自民党に求めていって欲しい。

安倍政権成立の目算が高まってから、外人投資家による日本株買いが多くなった。株式市場というものは、先ずは「目先で何が起るのか」を考えてそれに反応するのが常だから、これは当然のことだ。日銀が政権党の圧力に屈して「通常の判断の域を超える金融緩和」を行うだろうという見通しが高まれば、株式は、取り敢えずは「買い」に、通貨は、取り敢えずは「売り」になる。

しかし、この事は、「長期的な日本経済の信任」とは全く別次元の話だ。「財政規律」が回復せず、貿易収支の赤字が定着して「財政破綻」のリスクが高まれば、外人投資家は「どこで売りに転ずるか」を常に考えるようになるだろうし、一旦それが始まると、激しい売り浴びせにならないとも限らない。一般国民は、くれぐれも目先の景気動向に惑わされる事なく、市場の動向を注視していて欲しい。

マクロで日本経済を見れば、「金融緩和」や「財政出動」は、長期的には、何の実質的な解決策にもならない。長期的な解決は、「日本企業の国際競争力が増し、海外市場が拡大して、それが雇用と税収を増大させる」事や、「日本全体の生産性が上った事が評価されて、外国人の対日投資が増える」事によってしかもたらせられない。しかし、「そういう事が本当に起り得るのか」「その為に必要な政策は何なのか」を、現在の自民党が本当に理解しているとはとても思えない。国民はその事を肝に銘じておくべきだ。

何度も繰り返して言われている事だが、日本の経済が閉塞状態にある最大の理由は、「これまで日本が得意としてきた産業分野が発展途上国に取って代わられつつあるにもかかわらず、これに変わる先端分野での競争力が全く見えてきていない」事に尽きる。金融緩和を極限まで推し進めようと、公共投資で一時的に息をつこうと、この事は何も変わらない。

経済が国際化するという事は、「同一の生産性を持つ人は、国籍の如何を問わず、同一の生活水準を享受してしかるべきだ」という「公平原則」の実現へと一歩近づく事を意味する。今、日本人の多くは、同じ生産性を持った東南アジアの人達の生活水準よりはるかに高い生活水準を享受しているが、「その状態が維持出来て当然」と考えているとすれば、その根拠は全くない事を知るべきだ。

(それとも、大方の日本人は、「経済鎖国は可能で、『美しい日本の経済体制』は永久に守られる」とか、「公平原則など糞食らえ。今貧乏な人達は永久に貧乏でいればよい」とか、考えているのだろうか?)

取引先の中年の米国人が或る時私に言った事が、私の耳に今でも残っている。彼はデトロイトの生まれで、彼の父親はGMの中間管理職だった由だが、彼の少年時代の生活は全く文句のないものだったと言う。家は広く、電気製品は何でもそろっていたし、週に何度かは必ず家族でレストランでの食事を楽しみ、月に何度かはキャンプに行ったりスキーに行ったりしていた。しかし、彼の父親は、子供達に対し、「こんな生活が何時まで続くと思うなよ。そのうちにこんな事は不可能になる」と言っていた由だ。そして、本当にそうなった。彼の父親は、既にその時、日本車の脅威を感じていたのだろうと彼は言っていた。

この人だけでなく、多くの米国の中流階級の人達が、程度の差こそあれ、同じ様な体験をしているようだ。「ダウンサイジング・オブ・アメリカ」という言葉で表現されたこの現象は、「産業構造の転換」と「ITによる生産性の飛躍的向上」の陰に、それについていけなかった業種や職種の人達の「悲哀」があった事を意味している。これは避けられない事であり、多くのアメリカの中流階級の人達はこれに耐えたのだ。

今の日本人の多くが、非現実的な甘い夢を見ているのではないだろうか? 多くの若者達は就職難を嘆き、将来に対して漠然たる不安を感じているようだが、その割には、「自分の将来の為に何を学び、どんな体験をするべきなのか」を、彼等が真剣に考えているようにはあまり思えない。

「産業の国際化はますます進みそうだから、せめて英語ぐらいは喋れなければ」とは感じていても、思い切って留学しようと考える人は少ないようだ。その証拠に、昨年の米国への留学生の数は、中国人が20万人を超えたのに対し、日本人は逆に2万人を割り込んだと聞く。

自分では特に人並み以上の努力もせず、特にリスクも取らず、「普通に大学生活を楽しんでいれば、就職出来るのは当たり前で、そうならないのは政治が悪いからだ」と、もし彼等が考えているとすれば、それは政治家に対する過大な期待だ。「一旦大きな会社に入れば、会社は決して潰れないし、そのうちに段々給料は上がり、生活は良くなる筈だ」と考えているとすれば、それは企業経営者に対する過大な期待だ。

本当は、「少しでも停滞していれば、すぐに後発の人達に抜かれ、やがて取り返しがつかなくなる」というのが現実に近い。「普通の事をしているのは停滞しているのと同じだ」というのも現実だ。という事は、「普通にしていれば、かつてのアメリカの中流階級の人達と同じ運命をたどる」という事を意味する。それが嫌なら、積極的に業種や職種を変える努力をすべきだ。

今回、日本人の多くが、どのような気持ちで、どのような政党や人に一票をいれたかは知らないが、もうそろそろ「政治家に引っ張って貰う」事を期待するのはやめて、自分自身を督励し、ついでに政治家の皆さん方も督励して、日本という国が大きく没落していくのを防ぐ事を考えるべきだ。