アベノミクスで経済は「再生」するのか? …勿論しない

松本 徹三

先回は「産業界はアベノミクスを歓迎するのか」という観点から、「前政権に比べれば少しは頼りになりそうだと感じてはいるが、大規模な金融緩和や財政出動については期待より不安の方が多いだろう」という趣旨の事を書いたが、これは「現状の平板な推測」に過ぎず、言わば「どうでもいい事」だ。

一部の自称マクロ経済学者は、「自分のいう通りにしたら経済はたちまち良くなり、日本は成長路線に乗る」と言わんがばかりの事を言っているが、本当に自分達にそんな力があると思っているのだろうか? 投機筋の思惑で動く「為替」や「株」の事だけでなく、「実体経済」を動かす産業界の現実を、彼等は果たしてどれだけ理解しているのだろうか? 


今経済が停滞しているのは、「金融緩和」が十分でないからでもなく、「公共投資」が十分でないからでもない(まさか、本当にそんな風に思っている能天気な人はいないだろうが)。問題の根幹は、徐々に国際競争力を失いつつある産業界が、全体として自信を喪失している事だ。

だから、産業界は、アベノミクス等は適当に聞き流し、自らの体質改善こそを真剣に考えるべきだ(或いは、自信のある経営者は、「政府は要らぬ事はせずに、我々が仕事をやりやすい環境を作ってくれればそれでよい」とはっきり言うべきだ)。それなくしては、「経済の再生」などはお題目だけで、実現は「夢のまた夢」だ。

「経済再生」とは、要するに「多くの企業が将来に自信を持ち、投資を増やし、雇用も増やすようになる。これによって、現実にGDPが増加し、税収も増えて、財政も健全化する」という事を意味する筈だが、「企業の競争力」が増大しなければ、或いは「新しい産業」が生まれてこなければ、これは実現しない。この為に「政治」がやれる事も若干はあろうが、基本的には産業界自体が変わらなければならない。

スイスのビジネススクールIMDは1989年から毎年「世界競争力年鑑」というものを発行しているが、1989年から1992年までは日本は一位だった(1989年以前も相当長い間日本は一位だったと推測されている)。しかし、1993年には日本は一位の座を米国に譲り、後はじりじりと後退、1996年は4位、1997年は9位、1998年は20位、そして直近の2011年は26位だ。

(ちなみに、2011年の1位には香港と米国が並んでおり、3位シンガポール、4位スエーデン、5位スイス、6位台湾、7位カナダ、8位カタール、9位オーストラリア、10位ドイツだ。中国は19位、韓国は22位だが、それでも26位の日本よりは上だ)

IMDはこの順位を算出するにあたって、大きくは4項目、細かく分けると数十項目の評価を合算している。先ず直近の2011年度の日本の順位を大項目でみると、「経済状況」は27位、「政府の効率性」は50位、「ビジネスの効率性」で27位、「インフラ」で11位である。「インフラ」については結構評価が高いが、「ビジネスの効率性」の評点は低く、「政府の効率性」に至っては、評価対象となっている59カ国中でも最低ランクに近い(だから、「経済再生」について、政府をアテにする事などはあってはならない)。

細かい項目を見ていくと、評点の良いのは、「企業の研究開発投資比率(2位)」「国家としての研究開発投資(4位 — ここだけは期待しても良いかなあ)」「大学進学率(5位)」「顧客満足度(2位)」「社会的責任感(5位)」「社員の訓練度(6位)」「労使関係(7位)」「倫理的経営(7位)」等である。

逆に極端に悪いのは、政府関係では、「移民に対する法律(57位)」「財政運営の健全さ(56位)」「政策の順応性(55位)」「政治的安定性(55位)」等々、ビジネス関係では「起業家精神の不足(59位で最下位!)」「国外のアイデアの受け入れ(55位)」「柔軟性・順応性(54位)」「国際経験(54位)」「経営層の能力(54位)」等々となっている。

こういう話をすると、「どうして外国人の評価ばかりに神経質になるのか?」「何故日本固有のやり方に自信と誇りを持たないのか?」と言って批判する人達が必ずいるが、私は、「こういう人達こそが現在の日本経済の停滞をもたらした張本人だ」と本気で思っている。

この人達は先ず、「現在の状況は決し悪くない(負けていない)」と思っている可能性がある。次に、仮に「悪い(負けている)」と認めたとしても、「自分達が間違ったわけではない(国の無策に起因する『円高などの六重苦』があったからだ)」と思っている可能性がある。もしそうでないなら、「自分達のどこが間違っていたのか」を必死になって知ろうとして然るべきだし、外国人の評価なども自ら進んで聞きにいくだろう。

産業分野毎に「日本が勝っているか負けているか」を詳しく分析する事は必要だ。勝っている分野(例えば素材や一部の電子部品や精密機器など)については、当然の事ながらあまり心配する事はない(勝っているのにはそれなりの理由がある筈だから、ここに磨きをかければ良いだけだ)。しかし、負けている分野については、その理由を徹底的に分析し、どこをどう変えれば反撃に転じる事が出来るかを考えなければならない。

経営者というものは、どんな状況下であっても必ず結果を出す事を求められる職業だ。「想定外の事が起こったのでうまく行かなかった」というのは免罪符にはならない。「それを想定できなかった事」自体が無能の証しとされるからだ。

同様に、結果が出なかった理由(失敗の理由)は、自らしつこく追求し、あらゆるファクターを列挙して、「こうすれば良かった」「これからは当然この様にする」と言明すべきだ。自らの落ち度を認めないのは、単に「卑怯」だという以上に、「将来の改善が全く望めない」事を内外に表明しているに等しい。こんな経営者なら、辞任を求めるだけでは不十分で、彼が推挙する人物は、「彼が推挙している」という理由だけで「後継者の候補」から外すべきだ。

大きな期待を負いながら大負けに負けてきた分野が、「半導体」「情報通信機器」「家電」等の分野である事に、異論のある人は少ないだろう。とにかく「過去の栄光」との落差が激しいのだ。

この分野の事について、特に一般人には分かりにくい「半導体」の分野について、私は最近、湯之上隆という人の書かれた「電機・半導体大崩壊の教訓」(日本文芸社刊)という本を読んで、いたく感心した。私もこの分野に近いところで長年仕事をしてきたので、「大体はこういう事なのだろうな」と推測してきた事があるが、この本は、それを、詳細、且つ具体的に論証してくれている。

この本に書かれている事は多岐にわたるが、最も重要なメッセージは、「イノベーションとは『技術革新』の事ではない」、即ち「技術万能論への戒め」と、「『つくったものを売る』のではなく、『売れるものをつくる』」即ち「マーケティング重視」の二つだ。

私自身もずっと感じてきた事だったが、「技術に強い」と言われてきた日本の会社の多くが、まさにこの典型的な反面教師となっている。「一つの強み(例えば市場不良率の低さ)」を何度も繰り返して強調し、「良いものは売れるのが当然、売れないのは買い手が分かっていないからだ」とまで強弁し、「何故自分達の商品は競争相手のように安く作れていないのか」という最も重要な問題に関しては、言葉を濁らせてしまう。そんな人達に私自身も何度も出会った。

湯之上さんは元々は日立でDRAMの微細化技術に打ち込んでこられた技術屋さんだが、エルピーダを退社後、同志社大学で社会科学の観点から「何故日本の半導体産業は敗れたのか」を研究されたのだから、ことDRAMの歴史については、一読しただけで100%納得出来る。

私は、設立当初は会社の態をなしていなかったエルピーダをまともな会社に纏め上げた坂本社長のリーダーシップを長い間尊敬してきたが、パソコンの普及によるパラダイムシフトを読み切れず、コスト構造に抜本的なメスを入れられなかった事は、弁解の余地がないだろう。サムスンに敗れたのは、為替や災害の為だけではなく、明らかにこれ故だ。

さて、これからの問題はルネサスだ。湯之上さんも指摘しておられるように、抜本的な問題に大鉈を振るう算段もなく、ただ資金をつぎ込んで延命を策するようなら、これはまさに「日本政府も日本の企業人も『資本主義体制下のビジネス』というものを全く理解していない」という事を満天下に示すに等しく、外国人と会っても、恥ずかしくて話題にも出来ない程だ。

最低限、「マイコン」「アナログ・パワー半導体」「SOC」の三分野に会社を分割し、それぞれに最適の経営者を配して、最適の経営戦略を定めるべきだ。「マイコン事業」はトヨタ等の需要家が「大きな利益など出してもらっては困るが、死んでもらっては困る」と考えている分野なのだから、ここの経営は彼等に任せ、好きなようにしてもらったら良い。この分野は、別に「日本の半導体技術の生命線」などと悲壮感を漂わすべき分野ではないと思う。

後の二つの分野、特にSOCの分野は、思い切って「ファブレス事業者として生きていく組織」と「ファブに徹する組織」に分けてみたらどうだろうか? 

そして、「ファブ」として生きていく組織は、「先々は台湾のTSMC並みの会社にする」という程の野心を燃やして、TIのように「インテルやサムスン、TSMCがひた走る微細化路線とは一線を画した戦略(例えば3D戦略)」を前面に打ち出してはどうだろうか? そこまでやるのなら、産業革新機構のような国の戦略組織が、思い切って巨額の先行開発費を拠出する意味もあると思う。