「必要な事」は何故忘れられるのか?

松本 徹三

自民党の国土強靭化計画では10年間に200兆円の公共事業が行われる事になっている。それを支える税収の目処は全くたっていないから、その多くが国債の増発に頼らねばならないのは明らかだ。その事を考えると寒気がするが、国民の多くは残念ながらそこまで考えず、株価がどんどん上がっているので、何となく喜んでいる(現実に、コンクリート橋梁の第一人者である「ピーエス三菱」の株などはストップ高寸前になるまで買われており、こういった土木建設関連株で既に相当儲けた人も結構いるだろう)。


株式市場というものは、俗に「うわさで買って、事実で売る」と言われるように、「人々の期待」と「実体経済の現実」の狭間で動く。証券会社は、多くの人達に株を売買して貰うのが商売だから、「うわさ」を買うように熱心に奨めるのはまあ仕方がないが、「現実」が露呈する前に「売り」を奨めてくれないと、多くの罪のない人達が結局は損をする事になる。

流石にこの「国土強靭化計画」が発表された時には、「また箱物を作るのかという批判を避けつつ公共事業を拡大する絶好の口実」というのが見え見えだったので、多くの人達が眉をひそめたが、その後トンネルの崩落事故などの不幸が相次いで起こった為に、今はこれが追い風になっているかのようだ。

しかし、考えてみるとこれはおかしい。あらゆる土木工事には定時点検と保守が必要で、耐用年数がくれば建て直す事も必要だ。これは別に「強靭化」などと銘打たないでも、常にやっていなければならない事だ。

勿論、昔に作られたものは、耐震設計等を含め、災害対策が甘いものが多かったのも事実かもしれない。だから、今回の大震災を機に、これを全面的に総点検しようというのは、極めて妥当な提案だし、その事については何も文句を付けるものではない。

しかし、それなら、先ずは新しい安全基準を策定して、それをベースに総点検の計画を作り、手始めにその為の予算取りをするのが当然あるべき手順ではないのか? 総点検もしないうちに、いきなり10年間で200兆円等と言い出すのは、明らかにおかしい。この計画が、「人々の『期待』を作り出す」事を狙ったもので、「事故を心配する痛切な気持」に突き上げられたものでない事だけは、やはり事実だろう。

さて、今日の議論の趣旨は、実は「国土強靭化計画」の批判ではなく、「何故多くの設備の点検や保全がこれまで十分でなく、今回のような事故を起こしてしまったのか」についての考察である。

建設業界に身を置いた事のある人なら「花の建設、涙の保全」という言葉を聞かれた事があるだろう。大きな建設工事の受注には、様々な利権も絡み、大きな金が動く。受注ビジネスのエキスパートにとっては腕の見せ所であり、政治家の目も輝く。設計者だって、創造意欲を駆り立てられ、完成時の偉容に思いを馳せて、胸をときめかすだろう。まさに「花の建設」なのだ。

これに対して、「保全」は地味な仕事であり、予算は切り詰められ、多くの仕事が下請け(または更にその下の孫請け)にまわされる。「保全」が適切に且つ丁寧に行われていれば、耐用年数も長くなるが、その分だけ建て替え需要は少なくなるのだから、大手ゼネコンにとってはあまり嬉しい事ではないのかもしれない。何れにせよ、真面目に黙々と仕事をしている下請け会社の社員達は、少し可哀想だ。

さて、私は、長い間情報通信やエレクトロニクスの世界に身を置いてきたので、その分野でも同じ事があるかどうかを考えてみた。しかし、結論から言えば、状況は大分異なるようだ。

通信や情報処理の大規模システムの構築には、大型の土木建設工事にも負けないくらい金がかかり、受注産業である事にも変わりはない。しかし、この業界では、受注時には無理をしてでも安値で受注し、あとから「保守契約」や「ソフトウェアのアップグレード」で利益を出すという傾向があるように思える。一旦発注がなされてしまえば、途中でシステムを変えるのは不可能に近いから、後々の費用については、発注者は唯々諾々と払うしかない。受注者にとっては、保守やソフトウェアのアップグレードには実際には殆どコストはかからない筈だが、「本来なら受注時に確保しておきたかった利益をここで確保する」という事にしているのだろう。

また、これはごく稀なケースとは思うが、「保守契約」というものは、実際には必要でない人員をキープする為の口実としても使われる事もあるようだ。数年前の「光の道」の議論の時にも指摘した事だが、「NTTのメタル回線の保守コスト」には、このような実態が見え隠れしているのは否めないだろう。(だからこそ私は、この人員が光回線の新規開設工事に振り向けられる事を強く願った。)

今脚光を浴びているスマートフォンに代表されるような、情報端末については、買い替えサイクルが短い事もあって、「保守」の仕事はかなり軽い。「新機種への乗換」の誘惑に影響されない位の短い使用期間では、端末機は滅多に壊れる事はないし、ユーザーは、「安心パック」のようなサービスを利用すれば、万一の時には新品同様の代替品を使えるようにも出来る。

さて、話が随分横道に外れてしまったので、そろそろ本論に戻りたい。私が今回の記事で指摘したかったのは、「今の世の中では、ユーザーが本当に求めている事には必ずしも妥当なレベルの金が使われておらず、大きな金は違う力学で使われる事が多い」という事だ。

例えば、公共事業の場合は、「国民」が「ユーザー」なのだが、ユーザーが当然なされている筈と考えて安心していた「タイムリーな点検と保守」は、実はこれまで等閑にされてきており、大規模な公共投資ばかりがいつも脚光を浴びてきたかのようだ。そして、今回もまた、同じ事が行われようとしている。

蛇足ではあるが、私が関与している業界でも、この事はよく反省しなければならない。スマートフォンで開花したモバイル・インターネットの技術は、多くの人達の毎日を随分効率的なものにした。しかし、次々に新しい機能を追い求め、他社との差別化を図りたい供給者側の意欲とは裏腹に、「一般ユーザーの毎日の苛々」はなかなか解消されず、むしろ増幅しているかもしれない。

モバイル通信の世界では、種々の新サービスが生み出す夥しい量のデジタル信号が、ネットワークを不安定なものにし、しばしば「電話がすぐ切れる」などという問題を惹起している。

パソコンやそれに代わりつつあるタブレット等では、しばしば、何もしていないのにシステムがフリーズしたり、せっかく書いた長文のテキストが消えてしまったりという問題が起きている。多くの人達が、「何故かその日は思い通りに動いてくれなかった」自分のパソコンと格闘して、多くの時間を使ってしまったという苦い経験を持っている。

かつてパソコンの設計者は、先進ユーザーの要望に応えるのに忙しく、そのうちにリテラシーの低い一般ユーザーの事はすっかり眼中になくなってしまった。パソコンはどんどん進化したが、その「全体の能力」と「多くのユーザーが使いこなせる機能」の間のギャップは、恐ろしく大きくなった。そして、システムの不必要なまでの複雑化の代償である「不安定性」や「脆弱さ」は、そんなものを必要としない多くのユーザーにも、容赦なく負担を負わせてきた。

Steve Jobsという天才が生み出したiPhoneは、この問題を打破した画期的な商品だった。彼は、分厚いマニュアルなど読む筈もない普通のユーザーが、「普通にいじっていれば大体は使いこなせるようになる」事を、明確な目標にしてユーザー・インターフェースを考えた。

しかし、今後競争がより激しくなれば、各メーカーとも、目新しい機能を新機種の目玉にする事により多くの精力を注ぐだろう。そうすると、かつてのパソコンに起こったように、普通のユーザーにとって「本当に必要な事」は、次第に等閑にされて行く事になるかもしれない。業界の中にいる人は大いに自戒して、そういう事がないようにしなければならない。